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「卒業式考」~子どものための式ではないということ

 卒業式は学校の儀式の中で唯一教育委員会が主催するものです。教育委員会の主催する会ですから、教委の代表者が主催者側筆頭の位置に立ちます。これ以外の式は、すべて教委は来賓席にいます。

 また、入学式が「入学する式」であるのに対し、卒業式は「卒業する式」ではなく、卒業証書を授与する式「卒業証書授与式」というのが正式な名前です。
 式の最中に教頭先生は「学事報告」というのを行いますが、これは形式上、学校から教育委員会への報告という形を取ります。だから「報告」なのです。

 すべてが教育委員会を向いています。
 なぜなら教育委員会というのはこの場合シンボリックな存在であり、正しくは教委が代表する私たちの市の、市民に対して行うのが、卒業式だからなのです。

 各地方公共団体子どもが生まれて18歳になるまでに、一人あたりおよそ1千200万円を支出するといわれています。未婚の人や子どものいない人、つまり学校教育の恩恵を全く受けない人も含め、すべての人々が支払った税金のうちのそれだけの金額を注ぎ込んだ子どもたちが、市民に何の報告もなく、ノホホンと卒業して行っていいはずはありません。

 中学校卒業の段階ですでに1000万円も使い切ってしまったのです。成長の中間報告として、「私は、とりあえず今の段階で、ここまで立派に育ちました。皆さんのおかげです」と、堂々と自分を曝し、報告する機会、それが卒業式なのだと私は思います。
 ですから卒業式は厳粛でなくてはいけません。私はいつも生徒たちにそう言ってきましたし、今年も機会があったので話しておきました。

 どこまで心に響いたのかは、分かりませんが。