カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「天才の世界、凡才の世界」~私はかつて100mを13秒2で走り、東大医学部生とテストでトップを争ったことがあるという誤解

 長距離には多少の自信はありますが短距離はまるでダメで、小学校の運動会ではいつも第1組か第2組のメンバーでした(遅い順でしたから)。どうも瞬発力というものに難があったようで、走り高跳びもダメ、幅跳びもダメ。
 そんな私でも心に秘めた貴重な思い出があり、長いこと大事にしまっておきました。それは中学校2年生の時、非常に足の速い友人と組になり、彼に引きずられるようにして100mを13秒2で走ったという思い出です。
 オレにだって速いときはあったのだという記憶は、以後長く私の心の支えのひとつでもありました。ところが・・・

 教員になってしばらくして、体育の先生にその話をしたら彼はちょっと気の毒そうに、
「Tさん、それはきっと計測ミスだぜ」
・・・・・! なんという説得力!!
 鈍足がたった一瞬だけ速くなるなんてこと、あるはずがない!
 こうして私はひとつの支えを失いました。

 昨夜、浅井先生と話をしているうちに、ふと思い出したことがあります。それは小学校6年生の時、理科のテストで学年でたった二人だけ満点を取った、そのうちのひとりが私だったという思い出です。一方の片割れは、6年後、東大の医学部に現役合格を果たして、今はどこかのお医者さんをやっているはずです(研究者かな?)。
 私だって東大医学部と紙一重のところにいた・・・というのは、その後長く私の自信の礎となりました。しかし・・・

 これも教員になってたくさんの子どもと触れ合ううちに気づいたのですが、あの時、私は「見事100点を取りました」が、彼の方は「100点しか取れなかった」そういうことだったのかもしれないということです。別な言い方をすれば、あれが150点満点だったら私が100点で彼は150点取っていたに違いない、ということです。つまりいくらでも点を取れるのに、たまたま100点満点だったばかりに、彼は100点で押さえられてしまったのです。

 コンピュータの開発者のフォン・ノイマンは生涯に読んだ本は(流し読みしたものも含めて)すべて暗記していると豪語し実際に証明して見せました。

 エジソンは次々とアイデアの浮かぶ自分の頭が不思議で、ついに天啓(彼の言うスピリッツ)がすべてだと言う結論に達します。「天才とは99%の努力と1%の天啓だ」というのは、「努力するなんて当たり前。1%の天啓がなければ天才ではない」という意味です。

 まこと、天才とは恐ろしいものです。