カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「世間は学校知らず」~学校の行事ひとつの意義も重要さも知らない

 ある新聞記事の一節にこんな言葉がありました。

学校も世間知らずかもしれません。しかし、世間も学校知らずです。

 その話をしたら浅井先生が「あ、それいいですね。来年使わせてもらお」といい、少しはなれたところで桐井圭子先生が、「あ~~~、それいい言葉ですねェ~」と、控えめな叫び声を上げました。
 確かに「学校知らず」と言えば、私たちの思いはずいぶん的確に表現されます。本当に世間は学校知らずなのですから。

 例えば、先日「3年生を送る会」が開かれましたが、それがあったこと自体、知っている親は少なかったはずです。あったことを知っていても、何が行われたかを知る人は稀でしょう。さらに「3年生を送る会」の意義まで知っている人は、ほとんどいないはずです。

 2年生の生徒会役員にとって「3年生を送る会」は特別な意味を持ちます。それは生徒会のトップとして、初めて全校を動かす行事だからです。ここで成功するか否かが、今後一年間のすべてを決するといても過言でないほどに重要です。

「3年生を送る会」で成功すればみんなが誉めてくれます。担任や顧問が誉めるなんていつものことですが、普段はあまり付き合いのない先生たちまでもが誉めてくれる、だから自信になります。また、同じ生徒会の仲間として、一緒に大イベントを成し遂げたという思いが、生徒会本部の絆を深めます。だから次回も友をアテにし、自分も力を出して頑張ろうという気持ちになります。「3年生を送る会」はその意味で、2年生役員を一気に3年生にしてしまう、迫力ある行事なのです。

 ですからこの行事は、失敗の許されない行事でもあります。生徒に任せておいて何とかなるようなものではありません。もう中学生なのだからなどといって好きにやらせていたらとんでもないことになります。なんといっても中学校のリーダーとしてはゼロ歳児なのです。

 失敗が許されない、そして最大級に重要な行事だからこそ、顧問も担任も夢中になってこの行事に取り組みます。
 あんなに大きくてすてきな薬球を考え、生徒の動きをチェックし、歌を練習させ、何人かの委員長のセリフを考え・・・そうした苦労を、世間の人は全く知りません(顧問の中林先生が何であんなにバチバチと写真を撮っていたのか、私たちでさえ当日になるまで知らなかったくらいですから)。そしてそのために何日、何時間が費やされたか、だれも知らないし、普通の人は関心さえ持ちません。

 そうした努力の上に成し遂げたことも、社会的には
「3年生を送る会があった。在校生から暖かい送別の気持ちが送られた」
その程度のことです。

 世間は全くの学校知らずです。世間が学校に我慢できなくなったように、私ももう世間に我慢がならなくなっています。いったい学校で何が行われ、先生たちが何のために戦っているのか、声高に叫んで世間に知らしめなくてはなりません。そんなふうに感じた昨日でした。