2・26


 今日、2月26日は2・26事件のあった日です。  71年前の今日(1936年)、陸軍の皇道派と呼ばれる人々が1400人あまりの兵を動かし、斉藤内大臣他9名を殺害して、4日間に渡って首都を占拠した事件です。  私は卒業論文のテーマが「天皇制」でしたのでこのあたりはかなり勉強しました。  とても不思議なことですが、これだけの事件を起こしながら、クーデターを起こした中心人物たちは、天皇が自分たちの行動を支持すると信じて疑いませんでした。それは自分たちに真心があり、天皇を思って行動したのだから天皇は必ずこれに報いてくれるという思い込みがあったからなのです。 「天皇制」には様々な意味がありますが、その一つは天皇を親とし国民を子とするという、政治を親子関係になぞらえる考え方です。  親である天皇が無限の愛情をもって国民に接する代わりに、子たる国民(赤子:せきし)は無限の奉公を誓います。そしてその擬似的な親子関係が繰り返し現れるのが天皇制だということなのです。  例えば上司は部下に無限の愛情をもって生涯を保障します。部下はその代償として尽くし、上司の咎を責めないというようなことです。  学校も同じでした。  教師は生徒に対して無限の愛情と責任をもって接することが求められました。その代わり生徒は無限に教師に従い、教師に多少の不備があってもこれを責めることはしません。  ですから昔の教師の生活はかなり破天荒で、夏目漱石の「ぼっちゃん」もそれなりの信憑性をもって迎えられたのです。  ところが現代は違います。 生徒に対し無限の愛情と責任をもって接することを求められる状況は変わりませんが、同時に教師には非常に高い倫理と道徳性が求められ、一部の隙もない清廉さと技量が求められるようになっているのです。  国会議員も同じで、安部晋三さんのように子どもの頃から総理大臣になることを予定して、汚い金に手を出さないよう細心の注意を払ったり、一点の曇りもない生活を送り続けていないと、一流の政治家にはなれないのです。  かつては相当に不道徳で脇の甘い政治家もいましたが、実力さえあればマスコミも暴き立てず、政治力のみでその人の是非を判断しましたが、今はわずかな失言や不道徳も許さず、どんなに力のある政治家も簡単に葬ってしまいます。  同じように、どんなに力のある教師でもスキャンダル一つで軽く葬れます。皆様、身辺整理と禁欲生活(飲みすぎない、スピードを出しすぎない、余計なことを言わない等)、よろしくお願いします。  また、私が乱行に及んだ場合は、どうぞお止め下さい。