生活科とは何か

 娘が小学校に上がったときまず面食らったのが「生活科」です。私は社会科が専門ですので、その大切な社会科や理科を潰してつくった生活科というものが実際に何なのか、非常に興味があったのですが、娘の様子を見ていると遊んでいるとしか思えないのです。

 確かに野の花を摘んだり、川に入って水辺の様子を見たりするのは大切ですが、社会科や理科を潰してやるほどのこともないだろうという気がしました。

 ヨモギを取ってきてヨモギ団子をつくったり、剣玉遊びをしたり、やたら大掛かりな秘密基地を作ったりと・・・わざわざ教員がこんなことをさせることもない、大切な学校の時間に何をしているのだろう? と思ったものです。

 それでも私が怒らなかったのは、学校のやることには何か意味があるはずだという、同業者としての信頼があったればこそのことで、そうでなければとっくにキレているところでした。

 数年して、あるときこの「生活科」の専門主事と話す機会があって、(今ごろこんなことを聞くのも恥ずかしいかなと思いながらも)「生活科って、何ですか?」と聞いてみたのです。

返ってきた答えは非常に意外なものでしたが、しかし同時に大変納得できるものでもありました。

 彼は言ったのです。

「生活科はですね、やり残した保育の、やり直しなのです」

 たしかに、そう考えると野の花摘みも、水辺遊びも、剣玉遊びも分かります。子どもたちの中には社会科や理科をやる前に、まずそうしたことを学んで置かねばならない子たちがたくさんいます。もしかしたらその人数は、私が考えているよりもずっと多いのかも知れません。

 私は生活科の意味を納得しましたが、そうしたことを学校で引き受けなければならない社会というものには少し納得できない感じを残したままでした。

 最近特に言われる学社融合というものも、実のところ子どもを地域の一員に加え、育てていこうという試みです(なんだか、クマを山に帰すような話みたいですが)。

 保育のやり直しにしても地域への加盟にしても、かつては家庭や地域に自然に存在したシステムを、学校が肩代わりするようになったということでしょう。

 教育再生会議に出された資料によると、国語や数学、理科、社会といった科目にかける時間は、日本は世界で最も少ない国となっています。

 全授業時数は決して少ないわけではないのに国語などの時間が少なくなるのはなぜかというと、統計上「その他の時間」に分類されるものが51%にも上るからです。

 体育や音楽や芸術、生活科や総合的な学習の時間、そしてなんといっても特別活動の時間が授業時数を大幅に消費してしまっているのです。

 別の言い方をすれば、日本の教師は日本の子どもを日本人にするために、それほど多くの時間とエネルギーを注ぎ込んでいるのです。だいぶ廃れたとは言え、まだまだ捨てたものではない日本人の勤勉さやまじめさ、協働や調和といったものは、今や学校だけに任されようとしています。