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「のび太のくせに」~いじめの五つの容態

 来週、安部総理直属の教育再生会議の第1回報告が出るそうです。文科省とギクシャクし、中央教育審議会文科省の審議会)とガタガタし、自民党と不協和音を起こしている上に内部でも対立するというごたごたした会議ですので、来週の報告にも何が出てくるのか予想がつきません。

 今のところ言われているのが「授業時間数を国際水準並みに引き上げるため現行より1割増やすこと」「高校での奉仕活動の必修化」「教員免許更新制などを活用した不適格教員の排除」「社会人・外国人教員を一定割合以上、特別免許状を付与して採用すること」そして「いじめる子どもには出席停止を」、といった内容です。どれもこれもひとこと言いたい話ばかりですが、とりあえず、クラス全体で一人をいじめていたら、全員が出席停止か? と憎まれ口をきいておきましょう。

 いじめについて言えば、私は少なくとも五つに分類しそれぞれ別な対応がなされるべきだと思っています。

  1. ドラえもん」のジャイアンのような、かたっぱしいじわるをするような、古典的ないじめ(この場合、いじめられる側はお互いに「お前もやられたの?」と連帯できるので問題は大きくありません)。
  2. 恐喝など、それによって明らかな利益のある場合(これは犯罪なので無条件に警察と連携してよいケース)。
  3. 嫉妬に起因する嫌がらせ(これは学級レベルの広がりを持たないから深刻になる必要はない。嫉妬はそれほど広がりを持つことはない。ただし次の�Cの前哨であることもあるので注意)。
  4. 被害者意識を起因とし、表面的には「アイツを治してやる」という形で行われる、もっとも扱いずらいいじめ。
  5. 通常の人間関係トラブルさえも「いじめ」としか意識できない子の訴えるいじめ。しばしば彼らは、いじめの加害者でいる時間の方が圧倒的に長い。にもかかわらず、自分に番が回ってきた時には「いじめだ」「いじめだ」と大騒ぎし、引きこもる。

 こうした分析なしに、「いじめ」はすべて「いじめ」といっても、埒が明きません。

「最近のいじめは複雑で、いじめる側といじめられる側が一夜にして交代してしまう」と言いますが、それはともに被害者意識の強い者たちが④と⑤の間をめまぐるしく移動しているだけの話(簡単に言えばいじめの回し合い)で、①のジャイアンのび太のようないじめを思い浮かべている人には何のことやら分かりません。ドラぇもんの道具でも使わない限り、のび太とじゃイアンが一夜にして入れ替わることなどないのです。

「本人がいじめだと意識すれば、それはいじめだ」という有名な定義もありますが、これも⑤に当てはめると困ったことになります。なぜなら、それまで大騒ぎをせず我慢してきた子たちが、一度反撃しただけで「いじめの加害者」にさせられてしまうからです。

 また、いじめの始まりといじめの継続には何のつながりもなく、いったんスタートしてしまうと、いじめられる子は(④⑤の入れ替わりの場合を除いて)ずっといじめられっぱなしです。

 のび太は最初、運動神経が鈍いからジャイアンたちにいじめられたのかもしれません。あるいは突拍子もないことを言ったりしたりするからいじめられたのかもしれません。しかし今ではいじめの契機については誰も覚えていません。
 現在ものび太がいじめられ続ける理由を、スネ夫は鮮やかに表現します。
のび太のくせに、なまいきい言うな!」
 つまり、もはやのび太は「のび太だから」いじめられるのです。こうなると救いはありません。

 本来はこうしたこともきちんと検証し、対応を分けなければならないと思うのですが、教育問題については、とにかく状況分析ということは避けられています。
 不思議なことです。