目に見える愛

  1970年代の終わりから1990年代の初頭にかけて、アメリカで17人の青少年を次々と惨殺した殺人鬼ジェフリー・ダーマーの父親は、著名な数学者でした。彼、ライオネル・ダーマーは息子の死後『息子ジェフリー・ダーマーとの日々』という本を書き、日本でもベストセラーになりました(1995年 早川書房)が、その中で、ライオネルはこんなことを言っています。
「親の愛とは、子どものために何をどれだけ犠牲にしたかということである」
 私は、この言葉が好きです。愛が目に見えるからです。

 例えば、極貧と言っていいような家庭で、親が子のために金を使うとしたら、その愛は金額として量れます。負担の大きさを考えると、それは巨大な愛です。
 逆に収入の豊かな家庭で5000円のゲームソフトを買っても、それは非常に安っぽい小さな愛というしかありません。

 他人に頭を下げることの苦手な人が、息子のために深々と頭を下げるなら、それは目に見える愛です。自分が犠牲にしたくないものを、子のために注ぎ込むとしたら、それらは全部「愛」だと言えます。

 そして現代の多くの親にとって、今一番犠牲にしたくないもの、それは多分、時間と仕事です。つまり子のために平気でそれを犠牲にする親ほど、愛情の深い親なのです。
 いつも仕事で忙しい父親が寸暇を惜しんで音楽会にかけつけてくれる。参観日に5分だけ来てくれた。友だちにケガをさせた時、一緒に謝りに行ってまた仕事に戻っていった・・・。
 そう考えると、ある意味で、親の愛を伝えるなんて楽なことです。
(こういったことを、私は学級PTAなどのおりによく話をします)