カイト・カフェ

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「研修報告」~ふたつの児童養護施設を見て回り、気持ちを暗くしました

 昨日は地区生徒指導委員会視察研修ということでK市にある児童養護施設2箇所を回ってきました。児童養護施設というのは、何らかの事情で親が育てられなくなった子が集められる場所で、対象は3歳~18歳ということになっています。
 本県には15の施設がありますが、それらは全て民間経営で、国と県から50%の出資を受けて運営されています。ひとつは定員30名のところに29名、もうひとつは定員40名のところに39名と、ほとんど満員状態でした。

 そもそもは戦災孤児の収容施設で、更に遡ると学童疎開で県内にいるうちに戦災で親を亡くし、帰るところを失った子たちの面倒を引き続きみたというのが始まりで、ですから必然的にお寺やキリスト協会の付属施設が多くなります。今回見学させていただいた施設も、ひとつは現在もキリスト教系の団体の運営、もうひとつは教会から引き継いだものでした。

 収容されている子どもたちの半数は親によって直接申し込まれたものです。しかし残りは何らかの理由で児童相談所等から回されてきた子たちで、ご多分に漏れず虐待によって強制的に親から引き離された子も少なくありません(そういう子は住民票も移さず、どこの施設にいるのか親にばれないように慎重にあつかわれます)。

 テレビを見ているうちに虐待のニュースが扱われ、それに引き出されるかのように「私はこんなにひどくなかった」とか「私はもっとひどかった」という告白があふれ出ることがある、という話がありました。目の下のこの傷は、自分が5歳の時に親に鉄アレイを投げられてできたものだとか、頭に角材で殴られた後があり、結局彼らは病院に連れて行ってもらえませんので、自然治癒の醜い跡が残っているとか・・・本当に気持ちの暗くなる研修でした。

 全ての哺乳類の赤ん坊は可愛く生まれてきます。可愛く生まれなかった子は長い歴史の中では片端見捨てられ、乳を与えられずに殺されましたから「可愛くない」遺伝子を残せなかったのです。ですから赤ちゃんは常に絶対に可愛い。その赤ん坊を虐待できるというのは動物的に異常です。
 なぜ虐待ということが可能なのか、今後深く考えていかなければならないテーマだと改めて思いました。