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「こんな記事がありました」

 こんな記事がありました。

学校と私:自分壊さず相手に合わせる毎日新聞 2006年6月12日 東京朝刊
日本政策投資銀行地域企画部参事役・藻谷浩介さん

 山口県の旧徳山市(現周南市)の公立中学に通っていたころ、毎日自殺したいと考えていたことがあります。徒競走はいつも最後で運動が苦手。半面勉強は出来て口が立つ私は、生意気だと言われていじめられました。好意を持っていた女の子に学級会で「そういう態度だから藻谷君は嫌われるんです」と言われ、つるし上げられたこともある。

 そのころは「周りに合わせたら自分が壊れる」と思って、必死に自己主張し抵抗していました。勉強は得意という優越感の半面、鈍くさくてもてない劣等感とのはざまで悩んでいました。
 でも、中3のころから優越感とも劣等感とも無縁な自我が少しずつ出来始めた。周囲に合わせられるようになると、次第にいじめられなくなった。自分を壊さず、相手に合わせながら自己主張できるようになっていった。社会とどうかかわっていくかについて学校での経験を通じて身をもって学んだのです。

 この中学時代の経験が生き方の原点。その後は肩書や学歴などと関係なく素の自分を出して生きてきたつもりです。反社会的な相手ではない限り、世界中の人と渡り合え、理解し合える自信がある。

 「中高一貫校で国家のエリート育成」という話を聞きますが、意味があることとは思えません。勉強に向いた人は、教科書や授業と無関係に自分で学びます。集めて詰め込まなければ育たない秀才なんて、育つ必要がない。
 本当のリーダーは、社会の実相を丸ごと理解していなければなりません。これに対し、試験の得意な者だけが集う世界は、大人に守られた仮想社会に過ぎない。整えられた環境で力を発揮できても、自分で環境を変える力は身につかない。
 同質の仲間とだけ接していた人間が、多様な価値観のぶつかり合う国際社会で活躍できるのでしょうか。学歴などに頼るのではなく個人として生きる力が問われている。学校という社会の縮図の中で、早くから現実に向き合うことのできた私は、幸運だったと思います。

「周りに合わせたら自分が壊れる」という感じ方、「優越感とも劣等感とも無縁な自我」「自分を壊さず、相手に合わせながら自己主張できるようになっていった」という見方。なかなか考えさせられます。