「猫」

 校地内に捨て猫があり、高学年を中心に動きが活発です。昨日は拾ってきた6年生が責任を取って野生に帰してくるというところまで進展しましたが、4年生と5年生がそれぞれ家に聞いてみるということで執行猶予になりました。生き物に対してみんなで真剣に考え何とかしようという想いは大切です。子どもたちの優しさに感謝したい気持ちでした。しかし・・・

 そうした気持ちに冷水をかけるわけではないのですが、捨て猫に対しては真剣に考え心からやさしくなれる子どもたちの中に、友だちの苦しみがさっぱり気にならない子がいるのはどういうことでしょう? 遠い国の貧しい子どもたちのためにたくさんの募金をしながら、その同じ手で友だちをいじめることのできる子、クラスの友だちには極めて親切なのに、妹や弟には過酷な子、いろいろあります。つまり、優しさは必ずしも援用されないのです。

 ではなぜ、身近なものほど優しさの恩恵を受けずらいかというと、そこには濃密な人間関係があるから、と結論せざるを得ません。良いことも多いが、いやなことだってたくさんある、そのいやな部分が耐えられないと、人間はしばしば優しくなれないのです。そしてそのいやな部分に被害者意識を持つと、当然やり返してよいというアイデアが生まれます。いじめの背景には、常にこうした被害者意識があると、私は思っています。