先日の副校長会で校長会長講話というのがあり、蜷川先生がお話をされました。その中で、問題が起きた時の対処方法を、
- 「なんとかなる」と信じて時間に任せる。時間にしか解決できないこともある。
- 観点を変えて見る。
- 本質に立ちかえって観る、
の三つにまとめて考えてみたらどうか、というお話がありました。
例えば、昨年T中の増岡校長先生が生徒に問うたと言われる
「『親切』という時はなぜ『親を切る』と書くのだろう」
といった問題に対しても、
- この課題を覚えておけばいつか答えにぶつかるだろう、と放置する。
- 「親を切る」ではなく「親が(子どもとの関係を)切る」つまり子を突き放して一人立ちさせる、と考えてみたらどうか。
- そもそも「親」と「切」の漢字の字義に立ちかえって調べてみたらどうか・・・
とそんなふうに考えてみるのもいいのではないか。
なかなか含蓄のあるお話かと思いました。心しておこうと思いました。
ただ、「親切」が何故「親を切る」と書くのか、その答えがなかったので「ネットおたく」の私としては、家に帰るとすぐにネット検索にかかりました。その結果・・・「親」は「したしい」と読むように身体にぴったりと身を寄せる状況を表し、「切」も「刀が身体に貼りつくようなヒシヒシとした思い」を表すのだそうです。「懇切」「適切」「大切」などの「切」はすべてその意味で、そこでは「何かを切る」という意味は「一切」ありません(ちなみに「一切」の「切」は細切れのことで、これをひとまとめにしたものが「一切」です)。
問題解決の三つの方法、ちょっと心に納めておくとよいでしょう。
(「親切は何故親を切ると書くのだろう」はとても新鮮な問いかと思いましたが、ネット検索をしてみると、やはり同じことを考える人はたくさんいるものだと感心させられます。そしてそんな感心をした翌日の金曜日、テレビを見ていたらまったく同じことを扱っていたので、がっかりしました。私は3の方法でがんばって調べたのですが、今回に限って言えば、1の方法がもっとも正しかったようです。「待っていればなんとかなる!」)