「朝の風景」

 昨日の教務会の冒頭、「下駄箱の靴がよく揃っているのには感心した」と、校長先生よりわざわざのお話がありました。「あれだけきちんとできているのは、先生の指導もすばらしいが、もしかしたら誰か、いつもこころがけて揃えてくれる子がいるのかもしれないね」というお話でしたが、右の二クラスに関しては、全員の児童が心がけているか、もしくは先生が揃えているかのいずれかでしょう。なにしろ上履きの並びですから、揃える子がいるとしたら、最後まで残っていなければなりません。( ・・・と書きかけて、しかし、待てよ、揃えてくれる子が何人もいれば、ほとんどの日はこんなふうにきれいになるのでは、と思い返しているところです)。

 最終的に全部揃えるのが「揃えてくれる子」であっても「揃えてくれる先生」であってもどちらも意義深いことです。朝、登校して,きちんとした下駄箱から上履きを出して教室に向かう。揃っていることに気づいている子はもちろん、そうでない子の心にもきっとよい影響があるはずです。

 通常の意味でも、また語の本来の意味でも「有り難い」ことだと感じました。