昨日、学校に戻ったら5学年のお二人が難しい顔をして、目を閉じて、ソッポを向き合っていました。ケンカをしたふうにも見えないので眠っているのかなと思ったら、6年生を送る会で5年生から渡す鉢のラッピングを考えている、とのことでした(お互い、相手が良いアイデアを出すのを待っているふうもありましたが・・・)。
こんな細かいところにまで、先生方が智恵を絞りがんばっていることを児童は決して知ることはありません。しかしそうしたところにまで真剣に気を回すのが教員の仕事、あるいは教員の性、ということを改めて思いました。
私の弟はかつて仏教マニアで、寺院回りに余念がなかったり、仏具を集めたりと変な若者でした。その弟が就職してから嘆くのは、それを話せる相手が誰もいない、ということです。役に立つ立たないでで始めたことではないにしろ、まったく役に立たないというのも張り合いのないものだ、その点、兄貴はいいなあ・・・、ということです。
たしかにその通りで、自分自身が学校で習ったこと、絵を描くこと、リコーダーを吹くこと、毛筆習字ができること逆上がりができること、そういった事がすべて役立つ仕事といったら教員しかありません。そればかりか、映画を見に行っても旅行に出ても、買い物をしながらあれこれ迷っても、それらすべては料理のし次第で道徳や生徒指導の材料になります。
本当に幸せな仕事ですよね。