「子どもの人生は◯◯で決まる」~身も蓋もない人生観の話

 十数年前、学級懇談や学年懇談の席で「子どもはもっと自由に、のびのびとさせましょう」と言っていればいい時代がありました。そのころ私は中学にいましたし、保護者が勉強・勉強で血道を上げていることが分かっていたから、自然とそういう趣旨で話すことが多かったように思います。

 ところが、ある時期から「子どもを自由に・・・」という話を聞いてうなづいているグループの中に「ちょっと待て、お宅は違う、お宅はもっと子どもの面倒を見てくれなければならない」と、そんなふうに言いたくなる保護者がちらほら見られるようにようになってきたのです。社会的にも放任が問題になり、過保護・過干渉・放任と並び称されるようになってきました。

 私は最初、過保護と放任が同じに存在するという意味がよく分かっていませんでした。しかしやがて放任のグループの一団から虐待をする保護者が現われ、社会の構造は一気に明らかになってきたのです。

 子どものために金も時間もエネルギーも湯水のように使って惜しまない、そういったグループが一方にいます。彼らの一部は、教育のための勉強もよくします。その亜種が過保護・過干渉です。他方で子どものことをまったく省みず、お荷物としか考えない一団もいます。その極端な形が虐待でしょう。社会はそういう二つのグループに極端に分化しているのです。

 日本の子どもの学力低下を指摘したIEAの調査研究でも、日本の子どもの学力は全体的に低下しているのではなく、中位の者が落ちたため平均点が下がったのだと指摘しています。つまり中抜けで二極化が進んでいることを明確に示しているのです。

「かつて日本の子どもはどこの大学を出たかで人生が決まった。しかし今は違う。現代の子どもはどこの家に生まれたかで人生が決まってしまう」

 以前読んだ本の一節です。まったく身もふたもない話ですが、あまりにも子どもに不熱心な家庭、熱心でも自ら学ぼうとしない家庭には、そう言ってプレッシャーをかけるのも悪くはないと思います。