昨日はライブドアの事件をはじめ重要ニュースが目白押しの一日でした。その片隅に追いやられて目立たなかったニュースのひとつが、第134回芥川賞・直木賞の決定です。
芥川賞と直木賞は70年ほど前、文芸春秋社の社長をしていた菊池寛が芥川竜之介・直木三十五という二人の親友の名を冠した文学賞を創設したことに始まります。二つの賞はかなり性質が異なっており、芥川賞が純文学、直木賞が大衆文学、と分かれているほか、芥川賞は新人の登竜門、直木賞は流行作家の最後の格づけといった感があります。
時折「私も若い頃は芥川賞に応募したりして・・・」といった言い方をする文学中年がいたりしますが、それはウソで、その半年間(両賞は半年ごとの選考です)に発表された雑誌・単行本のなかから文芸春秋社が候補作を絞り、選考委員が受賞作を選ぶ、という方式をとっています。したがって、芥川賞を取るためには、まず「文学界」などの雑誌の新人賞に応募して入選し、小説家としてデビューしたあとで芥川賞の選考のテーブルに載るチャンスを待つしかありません。最近は十代半ばの受賞者が次々と生まれて評判になりましたが、最高齢が60代だったこともあります(森敦『月山』)から、今からでも遅くはありません。
それに対して直木賞は流行作家の最後の格づけですから40代以降が受賞者の中心になります。今回は東野圭吾という超売れっ子作家が受賞者となりましたが、年齢も受賞のタイミングもちょうどいい、といったところです。
この正月はインフルエンザと捻挫で何もできず、結構本が読めました。私としては珍しく3冊も小説を読み、それが東野圭吾だったので少々うれしく思いました。読んだのは「白夜行」「容疑者Xの献身」「秘密」で、そのうちの「容疑者Xの献身」が受賞作です。とんでもないトリックの使われる推理小説で、トリックの質とすれば世界レベルだと一人で興奮していました。チャンスがあったらぜひ読んでみてください。
*直木三十五という作家は妙な人で、33歳の時に「直木三十三」というペンネームでデビューし三十五歳のときに「直木三十五」に改名し、以後その名前を使いつづけ43歳で亡くなっています。
*中国の史書に「春秋」という本がありますが、皇帝の検閲の特に厳しい時代に書かれたため皇帝寄りのさっぱり面白くない記述に満ちているといいます。しかし実はその中の随所に皇帝批判が巧みに隠されており、文字と文章に優れた人が読むと批判のありさまが手に取るようにわかるのだそうです。そこから「春秋」という言葉には「優れた批評」という意味が含められるようになりました。したがって「文芸春秋」というのは「文芸批評」といった意味になります。
*正直言いますと、私はいまだに菊地寛が「きくちかん」なのか「きくちひろし」なのかよく分かっていません。ほとんどの場合「かん」と呼ばれていますが、まれに「ヒロシが正しい」といった記述に出会うからです。しかし「聞く痴漢」と勘違いしていたという人もいますから、それよりはマシでしょう。
*ついでに、名前の詠み方で分からないもののひとつに、近衛文麿がいます。これも「『ふみまろ』と読む人もいるが実は『あやまろ』である」「『あやまろ』という人もいるが『ふみまろ』が正しい」。両方の文に出会ったことがあります。