カイト・カフェ

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「1月17日」~阪神淡路大震災、そしてお宮受難の日です

 今日1月17日は阪神淡路大震災11年目にあたります。ついこの間のことのように思いますが、私たちが教えている児童の誰一人覚えていない遠い昔の話といういい方もできます。何しろ、今の5年生が生まれた年のことですから。

 十周年の昨年は記念番組もたくさんありましたが、今日はNHKの一部で扱うだけでテレビもほとんど報道しなません。こんなことがあったよ、程度でもいいですので、何も知らない子どもたちに語っておくのもよいでしょう。
 大震災からしばらくの間神戸近辺では不登校が激減したとか、自分本意であったはずの若者が次々とボランティア活動に参加したとか、大阪からホームレスが一斉に消えてしまったとか、酒鬼薔薇聖斗が不気味なことを学んでいたとか・・・私にとっても印象深いできごとでした。

 しかしその昔
 1月17日と言えば別のことで有名な日でした。それは明治30年の大ベストセラー「金色夜叉」の中に次のような台詞があったからです。
「あゝ、宮さん、こうして二人が一緒にいるのも今夜限りだ。お前が僕の介抱をしてくれるのも今夜限り、僕がお前にものを言ふのも今夜限りだよ。一月の一七日、宮さん、よく覚えてお置き。来年の今月今夜は、貫一はどこでこの月を見るのだか! 再来年の今月今夜……十年のちの今月今夜……一生を通して僕は今月今夜を忘れん、忘れるものか、死んでも僕は忘れんよ!いいか、宮さん、一月の一七日だ。来年の今月今夜になったならば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、月が……月が……月が……曇ったらば、宮さん、貫一はどこかでお前を恨んで、今夜のように泣いていると思ってくれ。」
 そう言って寛一はお宮を蹴り倒すのです(何と残酷な!!)

 金色夜叉のストーリーは以下のようなものです。
 一高の学生の間貫一の許婚であるお宮(鴫沢宮)は、結婚を間近にして、目先の金に目が眩んだ親によって、無理やり富豪の富山唯継のところへ嫁がされる。それに激怒した貫一は、心を捨て、復讐のために、金の亡者(金色夜叉)になる。一方、お宮も幸せに暮らせずにいた。やがて、貫一は金を捨て、お宮と再会する・・・。

 欧米の人が芝居というと「生きるべきか、死すべきか」とハムレットをやりたがるように(だから英語では下手な役者のことをハム役者=ham actorと言うそうです。日本では大根ですが欧米ではハムです)、日本の場合は必ず寛一お宮のこの場面でした。しかし今はそれも分からなくなってしまったようです。
(それにしても主人公が間寛一《裸一貫》、そのライバルが富山唯継《富の山をただで継ぐ》とは!)