カイト・カフェ

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「サンタクロース五題」~サンタは実在する

 懇談会が終わり、通知票ももらってひとしきり親に叱られると子どもの天国が待っています。12月24日にサンタさんからプレゼントをもらい、1週間後の1月1日に親戚各所からお年玉をもらうという日本の風習は非常に納得しがたいものですが、仕方ないでしょう。

  1. 私自身も、今は高校生に成り果てた娘が幼かった頃は、新聞紙で巨大な靴下をつくったり、サンタの落し物(サンタが帰りがけに玄関にお菓子の包みを落としていく)を用意したりと、結構楽しんだものでした。おかげで娘もかなりの年齢までサンタの実在を信じていたようですが、高学年になってから「これはお父さん、こっちはサンタさん」とか言い出すようになってから怪しくなってきました。中1になっても「お父さん、私、サンタ信じてるからね!」と念を押されるので、いいかげん止めてもらうことにしました。「サンタは、中学生には来ないんだ」

  2. 先日ラジオを聞いていたら、お寺の娘さんの話が出てきて、やはりお寺さんはクリスマスを祝うというわけにはいかないのだということを再認識しました。クリスマスツリーなどもっての外なのですが、それでも「冬至のお祝い」にプレゼントだけはもらっていたそうです。冬至のお祝いというのに、ほほえましい親の愛情を感じました。

  3. 冬至のお祝い」というアイデアは実は300年以上前の長崎にもあって、出島付近では毎年、12月25日に派手なお祭りをしていました。オランダの商館長が「オランダには『オランダ冬至』という冬至を祝う風習がある」と説明したのを端に発します。始まってから何十年だか何百年かして長崎奉行も、これは騙されたのかもしれないと気づいたようですが、先任者や自分の不覚を改めて公表することもありませんので、口を閉ざし「オランダ冬至」という名のクリスマスパーティーを最後まで続けたようです。

  4. 新しいクラスを持った12月、私は必ずサンタさんの実在の話をしました。「サンタは実在する」と言えば必ずクラスは大騒ぎです。しかも「だって高校の時、同級生だったもの」と言えばもう「ウソだ!」「ウソだ!」の大合唱になります。しかしウソではないのです。
    井上三太。元野球部でショートで、私の友達でした。

  5. サンタは実在する、ということに関する有名な話を裏面に載せておきました。日本人には馴染まない話ですが、アメリカではもっとも有名な話の一つですから、教養としてよいでしょう。

(裏面)

 今から100年くらい前のニューヨークでのお話。

 8才になるバージニアという女の子が、とある日お父さんに質問しました。
「サンタクロースっているの?」と。聞けば学校で、「サンタはいる」とか「いない」とか友達と論争になったのだと。お父さんは「そうだな。サン新聞に問い合わせてごらんよ」と。
 そこでバージニアは早速サン新聞社宛てに質問の手紙を書きました。サン新聞社の編集長はバージニアの手紙をチャーチさんという記者に渡し、チャーチさんは新聞の紙面でバージニアの質問に答えたのでした。
「サンタはいる」と。

 バージニア、お答えします。サンタクロースなんかいないと言うあなたのお友達は間違っていますよ。きっと、その子の心には最近流行の「何でも疑って信じないぞ!」って言う疑り屋さん の気持ちが強いのでしょうね。
 疑り屋さんというのは、自分の目に見えるものしか信じない心の狭い人達なんでしょうね。心が狭いから、よくわからないことがたくさんあるのですよ。
 それなのに自分のわからないことは皆ウソだと決めてしまうのです。ですけど人が頭で考えられることなんて、大人でも子供でも本当に限られたものなんですよ。私達の住んでいるこの限りなく広い宇宙においては、人の知恵なんて小さな虫の様に、それこそアリの様に小さいものなんですよ。その広く大きな世界を理解しようとするには、世の中のことを皆理解できる様な深い知恵が必要なのですよ。

 そうです、バージニア、サンタクロースがいるというのは、決してウソではありませんよ。この世界に愛や人への思いやりの心があるのと同じようにサンタクロースも確かにいるのですよ。
 あなたにも分かっているでしょう、世界にある愛や人への思いやりこそ、あなたの毎日の生活を美しく、楽しくしているものなのだということを。もしサンタクロースがいなかったら世界はどんなに暗く寂しいことでしょうね。
 あなたのように可愛い子供がいない世界が考えられないのと同じように、サンタクロースのいない世界なんて想像もできません。サンタクロースがいなければ、子供らしい夢も詩もときめきもなくなってしまうでしょうし、私達人の味わう喜びは、ただ目に見えるもの、手で触れるもの、感じるものだけになってしまうでしょうね。そういった子供時代の世界に満ち溢れた光も消えてしまうでしょう。

 サンタクロースがいないですって? サンタクロースが信じられないなら、妖精もいないって言うのでしょうね。クリスマスイブの夜にパパに頼んで探偵さんにニューヨーク中の煙突を見張ってもらったらどうでしょうか?ひょっとするとサンタクロースを捕まえることができるかもしれませんよ。
 でももし煙突からサンタクロースが降りて来なかったとしても、それが何の証拠になるのでしょうか? サンタクロースを見た人はいません、でもそれはサンタクロースがいないという証明にはならないのですよ。世界で一番確かなもの、それは子供にも大人にも目に見えないものなのですから。

 バージニア、あなたは妖精が芝生の上で踊っているのを見たことがありますか? ないでしょうね? だからと言って妖精なんていもしないデタラメだなんてことにはなりませんよ。世界中にある見えないもの、見ることができないものが、何から何まで皆人が頭の中で作ったデタラメだなんてことはないのですよ。

 赤ちゃんのオモチャを分解して、どうして音が出るのか、仕組みを調べたりすることはできます。でも、目に見えない世界を覆い隠しているカーテンを開くことはどんなに力自慢の人にも無理なのですよ。
 ただ、信じる気持ちと想像力と詩と愛とときめきだけがそのカーテンを一時開いて、カーテンの向こうの素晴らしい世界を見せてくれるのです。その素晴らしい世界は人が考えたデタラメなのでしょうか? いいえバージニア、それほど確かな、それほど変わらないものは世界の何処にも他にないのですよ。

 サンタクロースがいないですって? とんでもない! 嬉しいことにサンタクロースはちゃんといます! それどころか、いつまでも死なないでしょう。千年後も100万年後もサンタクロースは子供達に今と変わらずに夢やときめきを運んで来てくれるでしょう。