カイト・カフェ

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「馬鹿の話をします」~読み手のことを考えて

 文章を書くときには相手意識が大切だといいます。
 相手がどんな人か。
 教養ある人なら教養ある内容の文を、子どもなら分かりやすい文を、保護者なら保護者にふさわしい文を・・・と、相手に合わせた書き方が必要です。

 そこで、今朝は本校の先生方の顔を思い浮かべながら、「馬鹿」の話をしたいと思います(これ、先日の職員旅行で見た落語のパクリです)。

「馬鹿」の語源はなにか。
・・・一般に言われるのは「鹿をさして馬となす」(「史記(秦始皇本紀)」の故事)からだという話です。

『皇帝の位をねらう秦の大臣、趙高(ちょうこう)が二世皇帝に、鹿を「馬である」と言ってさし上げた。皇帝の家臣の多くは趙高の力を恐れ、「なるほどこれは馬です」と答えたが、一部の家臣は「いや、これは鹿に決まっているだろう」と答えた。趙高が「馬だ」といったにも関わらずそれに従わなかったこの家臣たちは皇帝派とみなされ、やがて趙高によって次々と暗殺されていった』
 その故事から、自分の権力をよいことに矛盾したことを押し通す意味として「馬鹿」という言葉が使われるようになった、というのです。

 しかしこれには決定的な反論があります。それは「鹿」を「か」と読むのは大和言葉で、漢文では「ろく」としか読まないのだという説です。そう言えばシャカが初めて悟りを説き明かしたと伝えられている「鹿野苑」は「かやおん」ではなく「ろくやおん」です。それが転じてつけられた「鹿苑寺金閣」は「ろくおんじきんかく」と読みます。

 馬鹿は、サンスクリット語(古代インド語)で「無知」や「迷妄」を意味する「baka」「moha」の音写「莫迦(ばくか)」「募何(ぼか)」が転じたというのが正しい答えです。日本では、鎌倉時代末期頃から「ばか」の用例があり、室町中期の「文明本説用集」には、馬鹿の異表記として「母娘」「馬娘」「破家」をあげ、「とんでもない」の意味で「狼藉之義也」と説明しているそうです。(←このあたりはホームページからのコピペ)

 なぜ、「馬鹿」のことを調べたのか、本当の理由は先生方の中のただお一人がご存知です(さて、それは誰でしょう?)。
 ついでに・・・古代インドには「バカバッド」という神話上の英雄がいますが、彼の名は中国では「莫迦梵(バカボン)」と転記され、その聖典「バカバット・ギーター」は「莫迦梵経(バカボン経)」といいます。赤塚不二夫は相当な教養人なのです。