カイト・カフェ

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「ポピュリズムの時代」~子どもの問題のすべては学校が解決すべきという世論

 1959年、アメリカの大統領選挙はリチャード・ニクソンとJ・F・ケネディとの間で戦われましたが、初のテレビ討論をきっかけにケネディが一気に逆転をし、歴史上最若年の米大統領になりました。
 1976年の米大統領選はフォードVSカーターでした。このときはテレビ演説会の前哨戦が大変で、フォード陣営は演台を高くせよ(カーターのチビが目立つ)と要求し、カーター陣営は背景を黒にしろ(フォードのハゲが目立つ)と要求して引かなかったのです。
 1999年のゴアVSブッシュは最終的に数千票差というきわどい結果でしたが、「結局アメリカ人は、真面目で退屈なゴアより面白キャラのブッシュを選んだ」と言われています。

 日本でも先に衆議院選挙で小泉首相が「国民に聞きたい」と真剣な問いかけをし、民主党が「千載一遇のチャンス!」と叫んだ瞬間に勝負が決まってしまいました(「千載一遇のチャンス!=儲けられるぞ」と叫ばれたら国民は「儲けさせてたまるか」と反応するに決まってます)。見栄えだけでも、真面目がそのまま歩いているような岡田さんより小泉さんの方がいいに決まっていますし、「日本をあきらめない」(民主党の選挙スローガン)と言われれば、「オマエ、あきらめそうなの?」とツッコミたくもなります。見栄えだけで言えば野田聖子さんより佐藤ゆかりさんの方が絶対ステキですし、小林興起小池百合子では勝負にならないでしょう。

 ここ数年、ポピュリズムという言葉が聞かれるようになってきています。大衆迎合主義と訳され、政治がその理念や国家の利害、将来への周到な計画、といったものとは無関係に、大衆の気分によって動かされることをいいます。しかしそれは政治の世界ばかりでなく、教育の世界にも言えるようになってきています。

 つい5〜6年前まで日本の子どもたちは過酷なまでに勉強させられているということになっていました。不登校も非行も、異常な受験中心主義と管理教育がもたらす弊害だとみんなが信じていました(教員以外は)。それが突然、日本の子どもはあまりにも勉強が足りない(=学力低下)だということになっています。本当にそうなのか誰も調べたわけではないのに、教員の質の低下が原因のひとつと考えられ、教員評価が焦眉の課題だといわれます。授業時数を増やせば学力が上がると、これも眉唾な話がもっともらしくまかり通っていますし、「子どもの問題のすべては学校が解決すべき」といった風潮が次第に広まっています。

 今日は「教育はパフォーマンスだ、教師は顔だ!」という話をしようと思ったのですが、紙面と時間がなくなりました。またにします。