「教員同士が『先生』と呼び合うこと」

 昨日の副校長会で民間会社の社長さんのお話を聞く機会を得ました。なかなか示唆に富んだお話でしたが、中に気になることがひとつありました。それは「先生同士がお互いを『先生』と呼び合うことの愚」といった内容です。

「先生」というのは師弟関係の弟子の側から見た呼称であって、師同士が「先生」と呼び合うのはいかがなものか、こういった批判にはずいぶんと根強いものがあります。世に「先生」と呼ばれるのは国会議員に医師、大学教授に小中高の教員と、いずれも権威に関わる仕事ばかりです。そんなところから権威嫌いの人が噛み付いているのかもしれない、別に誰にも迷惑のかかるわけではないのに余計なことを、と私は思うのですが、これが教員の意識改革の端緒になるといわれれば心穏やかではありません。

 私は教員同士が「先生」と呼び合うのはこの世界の美しい習慣だと思っています。「先生」と呼び合うことが、子どもが呼んでいるから教員同士も呼んでいるといっただらしないものではなく、もっと積極的な意味があると考えるからです。それは「我以外皆我師」といった考え方です。(これは作家の芳川英治が好んで書いた言葉で「宮本武蔵」の中で武蔵自身の言葉として紹介されたものです。しかし武蔵は、実際には言っていないようです)。

 基本的に学問の世界では互いを「先生」と呼び合うことを好みます。それは学ぶことが永遠に終わらないこと、誰からも学ぶべき多くのことがあると私たちが知っているからです。だからあいてがどんなに若くても、たとえ新米のペーペーでも、「先生」なのです。

 それなら相手が生徒でも隣のオッちゃんでも全部「先生」と呼ぶべきだ、ということになりそうでが、それでは社会が混乱するでしょう。ただし隣のオッちゃんでも講演会に講師としてお呼びするときは「先生」と呼びます。けっして「〇〇さん」ではありません。きちんとした人なら、どんなにベテランでも若い先生を「先生」と呼びます。それは相手を尊重し、そこから学ぼうという姿勢なのです。

(しかしもしかしたら将来「担任は息子にとっては『先生』かも知れないが親のオレにとっては『先生』ではない。しかも相手は年下だから、これからは担任のことを『〇〇君』と呼ぶことにする」そんな人も出てくるかもしれませんね)