カイト・カフェ

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「みんなの前で叱られる・みんなの前で誉められる」~その時、それぞれの子は何を感じているのだろう

【みんなの前で名指しで叱る】

 クラス内で騒ぐとか私語をするとかで名指しで叱られる児童がいます。全員の前で叱られるわけですから一種のさらし者で、それだけ余計に深い反省がなされるような気がします(モウ、二度ト コンナ目ニ 会イタク ナイ・・・)。ところがドッコイ、そうはならないことが実験で確かめられています。
 そんな場合、ほとんどの子は内心不貞腐れ、聞くべきことも聞かずに反抗心を燃やしているというのです。
 一方、叱られているわけではない「その他の子」はどうかというと、こちらの方は小さくなってひたすら「コンナ目ニ 会イタク ナイ・・・」と思っています。
 つまり肝心の「悪さをした子」にはほとんど効果がなく、「その他の子」にこそ効果のあるのが、この「みんなの前で名指しで叱る」という方法なのです。(これを逆手にとって、内容を徹底させるために、わざと生け贄をつくり、これを土砂降りのごとく叱ることで他の全員をびしっとさせる、というトリッキーなワザがあります。これを「血祭りに上げる」といい、気が良く打たれ強い子が生け贄にされたりします。私はそういう子でした・・・・たぶん)

 

みんなの前で名指しで誉める

 誉めるのは教員の仕事ですから、先生たちは実によく子どもを誉めます。個人的にも誉めますが、みんなの前でもよく誉める。
 一人の子をみんなの前で誉める、そのとき教員は本人が心地よくなるとともに、周囲の子たちも「あんな風に誉められたい」「ボクもがんばろう」と思ってくれることを期待します。しかしところがドッコイ。大半の子はそうした話を熱心に聴いていないのだそうです。誉める話が始まって、それが自分のことではないと知った瞬間に、サッと心にレースのカーテンを引いてしまいます。中には「あれくらいで誉められて・・・」と憎憎しく思っている子もいたりします。
 もちろん誉められるご本人は天国に上るような気持ちでいますから、「みんなの前で誉める」ということは大事には違いありません。しかしそれが単純に周囲に広まらないということは覚えておかねばならないでしょう。
 難しいものです。