カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「子どもといることが少しも楽しくない、ただ苦痛なだけの親がいる」~心の隅に置いておきましょう

 運動会の二日ほど前、夕方の校内を見回りしていると、1年2組から音楽が聞こえ、見ると森孝子先生と小平彩子先生が「ひびけ!K校っこ太鼓!!」の練習をしておられました。踊りに合わせて太鼓をどう叩くか、という練習だったと思うのですが、それが実に楽しそうで大変好もしく思えました。子どもと何かを仕上げていくことが面白くてしかたない人たちです。

 このところ様々な事情(学校・私的な)で、何人かの母親と話す機会が多くなっています。その中で考えさせられたのは、子どもといることが少しも楽しくない、ただ苦痛なだけの人が少なからずいる、ということです。これはなかなかゆゆしき問題です。

 単純に考えれば、人間には誰しも好き嫌いがあるのだから、子ども好きもいればそうでない人もいる、だからそれでいいじゃないかということになるのですが、母と子というとそうは言っていられません。最初から嫌いと分かっていて「母親にならない」選択をしているなら別ですが、産んでみて初めて子どもが嫌いであることが分かったり、育ててみて初めてその面倒にウンザリしたりということだってあります。また、別に産みたくて産んだわけでもないといった場合だってあるでしょう。

 そうであるにも関わらず、産んでしまえば母親は母親で、子はいつまでもそばにいて生きていかなければなりません。さらに、私たちの中には「愛情のない母親なんていない」といった固定観念がありますから、そうした世間の理解からも追い詰められていきます。

 今月の雑誌『文芸春秋』に「母のこと」という短い文章がありました。ちょっと考えさせられる文ですので裏面に張っておきたいと思います(略)。