カイト・カフェ

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「三つの難問」~常に子どもたちから突きつけられている三つの問題


女王の教室」というTV番組が評判になっています(土曜夜9時)。

 鬼のように恐ろしい阿久津先生も、どうやら「子どものことを真剣に考えるいい先生」ということになりそうですが、これを契機に「ウチの先生もメチャ怖いけど、本当はいい先生なのかもしれない」と、子どもたちの間に見返しが起きればいいなあと思っています。
 もっとも保護者の方は基本的に「厳しい先生」が大好きですから、「子どものことを考えるなら(阿久津先生みたいに)、もっとビシビシ厳しくやって欲しい」などという要求が高まってもかないません。誰もが阿久津先生になれるわけではありませんし、逆にそのやり方が大嫌いな人だっているのです。

 さて、先週の「女王の教室」では、最後の方で教育に関する二つの問いが、問題となりました。
 ひとつは「何のために勉強するのか」、もうひとつが「なぜ人を殺してはいけないのか」です。
 これに、先日の道徳授業研究会で校長先生が話題にされた「なぜ援助交際はいけないのか」を加えると、現代の「3難問」が揃います。

「何のために勉強するのか」は以前私がここに書きました。「なぜ援助交際はいけないのか」については校長先生のお話の通りです。「なぜ人を殺してはいけないのか」、これについて、面白い記事がありますので紹介します。

 なぜ人を殺してはいけないのか? 出題者を説得するつもりで
              [中日新聞コラム2001年2月17日]
 「なぜ人を殺してはいけないのか? 出題者を説得するつもりで述べなさい」。弘前教育学部の二次試験で出題された小論文のテーマである。教育者を目指す受験生たちは、意表をつかれたにちがいない。
 たぶん出題者の頭には、同じ青森県内で先月開かれた教育研究全国集会の光景があったのだろう。少年事件を考えるシンポジウムで、制服姿の地元高校生が、同じ問いを投げかけた。会場は一瞬静まり返ったという。
 居合わせた本社記者によると、正面から受け止めて答えようとする教師たち「大人」はいなかった。終わるのを待って、記者は高校生に自分の意見を伝えた。「人は人とつながっていて、一人を殺すことは周りに大きな悲しみを招く」「だれにでも生きる権利がある」などと。
 「腑(ふ)に落ちました」と最後に高校生は言ってくれたが、その記者は各地からきた教師たちの戸惑いと無反応が残念でならなかったという。教え子の問いかけに「わたしはこう考える」と諭すことがなぜできないのか。
 予備校講師の吉本康永さんが近著で、自分の子どもが同じ質問をした場合の対応を書いている。まず、殺したい相手の名前を聞く。だれかにいじめられ復讐(ふくしゅう)しようとしている可能性があるからだ。もし名前を挙げたら、どうして殺したいのか誠心誠意耳を傾けてやる。それが親の最大の責務だ。
 具体的な名前を挙げずに、そんなことを聞いたら「その場で即座に子どもを張り飛ばす」。でも学校の先生はこうはいかない。弘前大の受験生たちはどんな論文を書いたのだろうか。

『「腑(ふ)に落ちました」と最後に高校生は言ってくれた』となっていますが、高校生はそんな底の浅い話は早く切り上げたかったのでしょう。この記者には、大衆の前でも声に出して質問しなければならなかった高校生と、その問いの重さのために即座に反応できなかった教師たちの緊張感がまるで分かっていません。
「人は人とつながっていて、一人を殺すことは周りに大きな悲しみを招く」「だれにでも生きる権利がある」などで済む話なら、ことは簡単なのです。

 さて、先生方もいつ聞かれても不思議のない「三つの難問」。せめて10人中8人くらいが納得して行動に移せるような答えを、今から用意しておきましょう。