ときおりマスコミなどで「教師はいじめを絶対に許さないという毅然とした態度を示さねばならない」といった論調を見かけることがあります。ところがこの「絶対に許さない」には、よく分からないところがあります。
世間の人々やマスコミは、もしかしたら先生が「絶対許さないぞ!」と叫べば子どもたちがスゴスゴと引き下がると本気で思っているのかもしれません。しかしそんなふうに叫んで収まるようなら、いじめ問題は簡単です。あるいはそれは「いじめが発生したら、徹底的に話し合うぞ」ということかもしれません。けれどそれだって、ある程度の技術がなければ話し合い自体が被害者を追及する糾弾集会みたいになってしまい、逆効果の場合だってありえます(と言うより、かなりの話し合いがそういうことになってしまいます)。
大昔の学校には「絶対許さない」仕組みが山ほどありました。いじめをしたら、「殴るぞ」「正座させるぞ」「立たせるぞ」「反省文を死ぬほど書かせるぞ」「教室から追い出すぞ」「親に言いつけるぞ(その結果、お前は親にボコボコにされるぞ)」・・・どれでも良かったから、ある意味簡単でした。しかしそうした目に見える仕組みの大部分は、今日禁じ手となっています。
では、現実に先生方はどのような方法でこの「絶対許さないという態度」を示しているのでしょうか? 私はたくさんの事例を見てきました。
- もちろん今日も「怒鳴りまくる」という先生はいます。話し合いできちんと解決する先生もいます。それをもっとも有効な武器と考え、使える人はそれでいいのです。しかし怒鳴りまくっても迫力に欠け、話し合いも下手という私のような教師もいるわけで、その場合はべつのことを考えなくてはなりません。
- 黙っているだけで、あるいは黙っていることが異常に怖い先生がいます。そういう人は、とりあえず黙ってしまいます。
- 黙った上で目で殺すタイプもいます。そのとき目から出ているサインは「見捨てるよ」です。時折母親で、この「見捨てるよ」サインを実に効果的に頻発する人がいますが、あまり小さなころから出しすぎると、子どもは狂ってしまいます。
- とにかく指導のしつこい人がいます。私はこのタイプです。丁寧といよりはやはりしつこいのであって、一旦問題を起こすと大切な休み時間が果てしなく調査の時間になってしまうのでかなわないのです。下手をすると繰り返し家庭にまで乗り込んできますから、かなり面倒どうな教師です。
- 日常的に褒めるのがうまく、褒めて褒めて褒めまくるうちに、問題など起こせないところまで追い詰めてしまう「褒め殺し」タイプの教師もいます。私の知る限り、たいていは中年以上の女性の先生です。
- 何が何だか分からないけど、問題を解決してしまう魔法使いみたいな教師もいます。すばらしいですが、下手に私たちが真似すると、手痛いやけどをします。
教師としての王道はやはり「話し合いによって解決する」でしょう。話し合いの腕を上げる努力はもちろん大切ですが、人権問題のような微妙な問題を下手な話し合いに付するは危険ですし、話し合いがうまい先生にしてもクラスの問題を全て話し合いにしていたらとても時間が足りなくなってしまいます。ここはぜひ、何らかの形で「絶対許さない」独自の技術を身につけなくてはなりません。その場合のポイントは、自分の性格にあっているか、長続きできるものか、ということです。私だって本当は、しつこい教師であるよりも魔法使いでありたかったのですが、どうやらそれはタイプではなかったのです。