カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「すぐに”それ、知ってる”と言いたがる子どもたちの話」~他愛ないけど、迷惑

 高校生の時のことです。友人と教室で、当時の映画に出ていた二人の女優さん(二人とも典型的な二世俳優で、父親はヘンリー・フォンダタイロン・パワーです)について、どっちが可愛いかといった話をしていました。そこへ通りかかった別の友だちに、「ねえ、ジェーン・フォンダとロミナ・パワーと、どっちがいいと思う?」と声をかけると、彼は
「ゴメン、俺、クルマのこと、分からねぇんだ・・・・・・」。(ホンダとパワー)
 その「分からねぇんだ」がとても新鮮で、それ以来私も、知らないことについては極力「知らない」と言うように努めるようになりました。もともとそういうことのできないタチだったのです。

 私は小さな頃からかなり小賢しいイヤなガキで、他人の話には何でもクビを突っ込み「ア、それ、知ってる」と言っては人の話を奪ってしまう子でした。あんなこと知ってる、こんなこと知ってる・・・。動機は案外単純で、知っていることがうれしくて仕方がないのです。そしてそれをしゃべりたくてしょうがない、それで教師になったという人がたくさんいます(たいていは社会科教師ですが)。

 先日、補充で1年1組に入って一緒に「日本昔ばなし」のVTRを見たのですが、スイッチを入れるなり「ア、これ見たことある」「この話、知ってる」「この歌、聞いたことある」と、うるさい、うるさい。
 こんな時「じゃあ言ってみろ」と問い返せばたいていは分かっていないのですが、とにかく「知ってる」と言いたいのは昔の子どもも今の子どもも変わりありません。
 知識で人の優位に立ちたいと思っているかどうかは不明です。「知っている」と言えばみんなから尊敬してもらえると勘違いしているのかも分かりません。しかし「『知っている』と言う」ことは、人間にとってものすごく心地よいことなのかもしれないと、その時私は改めて思いました。

 「ホラみろ分かっていないじゃないか」と言うのは簡単ですが、その前に一工夫してみようかな、そんなことを思わせる瞬間でした(デモ、VTR始マッタラ 黙ッテロ)。