「心の教育はしない」

 

 何か生徒指導上の問題が起こった時、よく「心の教育をしなさい」とか「命の教育をしなさい」といった言い方をします。けれど私は不賛成です。問題行動に際して「心の教育」はしてはならないのです。

 なぜなら「心」を問題にした場合、「あなたの心がゆがんでいるから悪いことをしたのだ」ということになりかねないからです。「あなたは人の気持ちがわからないからこういうことをしたんだね」「あなたは何が悪いか分からない子だから、こういうことをしたのね」、では救いがありません。

 「罪を憎んで人を憎まず」は日本人の美風です。罪を罪として「人」から切り離すのは子どもの心を守る上でもとても大切なことです。

 

(以前にも書きましたが)生徒指導の手続きにおいてもっとも大切なことは、「克明で客観的な事実をまざまざと目の前に見せる」「そのことによって己の罪深さを分からせる」ということです。

 また、罪深さを自覚した後は贖罪が必要ですから(そうしないと罪は洗い流せません)、本来は当然「罰」ということになります。ただし今は「罰は学校教育に馴染まない」ということらしいですから、「親にありのまま報告する」をもって罰の代用とします。

 こういうことはできるだけ事務的に、心を問題にせずに行います。

 

 では「心の教育」はいつやればいいのかというと、もちろん道徳の時間にやればいいのです。日々の担任講話の中で繰り返し、毎日やればいいことです。仮に、誰かの命が失われた後であわてて「心の教育」やら「命の教育」をしているとしたら、それはかなり恐ろしいことですよね。