「ガバナビリティ」

 

 ガバナビリティという言葉があります。

 

 10年、阪神大震災に際して「村山首相のガバナビリティには問題がある」といった言い方で使われ始めました。統治能力という意味です。しばらく流行語のように使われていたのですが、ほどなくアメリカ大統領ビル・クリントンの「日本人の優秀なガバナビリティには学ぶべきところが多い」といった発言が報道されて分からなくなりました。クリントンは「統治能力」という意味でこの言葉を使ったのです。

 さて、ではガバナビリティは『被統治能力』といった優れた資質のことかというと必ずしもそうではなく、さらに調べてみると「そんな立派なものではなく、『なびきやすさ』、要するに国民のバカさ加減のことだ」といった言い方もあるので、この言葉、なかなか一筋縄ではいきません。

 

 ただし「統治されることは能力だ」という考え方は私にはとても新鮮でした。実際、なんでもかんでも逆らっているようでは優秀な国民とはいえませんし、「はい、はい」となんでもいうことをきく奴隷根性も感心しません。国民すべてがイエスマンなら国は滅びます。

 

 そう思ってクラスの中を見ると、なるほど教室にもガバナビリティに優れた子とそうでない子は歴然としています。いちいち逆らう子も困りますが、まったく反抗せずただ流されている子も困ります。とりあえず聞くということ、聞いてやってみるということ、その上でうまくいかなければ「でもねェ先生」と代案を出したり工夫したりできる子、それが優秀な子です。それが児童・生徒としてのガバナビリティです。

 

 では、どうしたらそうした優秀な子を育てられるでしょうか?

 それには親や教師といった大人が子どもに適切な指示を与えること、与えられた指示を守った結果とてもいいことがあった、素敵なことが起こった、という経験を数多く積ませるしかないと思っています。時に間違えることはあるかもしれないけれど、大人たちの言うことを聞いておけばたいていことはうまく行く、そんな思いを子どもの心の中に染み込ませておけばよいのです。

 さて、私たちは常に適切な指示を与えているでしょうか?

 

 普通はここで文章を閉じるのですが・・・・・「常に適切な指示を与えているか」と問い返してみて、実は私は、ほとんどの大人はほとんどの場合、大枠において間違ったことは言っていないのではないかと思うのです。私たちは子どもが大事ですから、基本的に子どものためになる方向でしかものを考えません。そういう私たちの言うことですから、言葉が足りないとか、説明不足とか言うことはあっても、間違ったことを指示することは稀です。

 

 そうなると「与えられた指示を守った結果とてもいいことがあった」という経験を積ませるためには、まず「子どもの方が良く聞く」ことが大切だ、ということになります。その人が言うことがいいことかどうかなんてことは、話を聞きく前には分かりっこありません。まず聞かなければ話にならないのです。そして、ここで躾けが必要になります。

 

 子どもたちはまず聴かねばなりません。そしてそれには強制力が必要です。少なくとも、とりあえず黙る、ということができるようになるまでは、厳しい躾けが必要なのです。

 そうして育てられた子が素直な子と呼ばれます。