「音楽と体育の優越性について」

 

 昨日、遠足終了後6年生の合唱練習を見せていただきましたが、先週偶然立ち寄って聞かせてもらった時に比べて格段の進歩があったのに驚かされました。歌そのものの進歩については十分評論できないのですが、前回は一生懸命歌っている子の人数を数えたのに、昨日は「もう少し頑張れそうな子」を探すのに苦労するようなありさまだったのです。それだけでもなかなか立派なものです。

 

 さて、

 小学校で教員生活をスタートさせた先生はそれが自然ですから余り違和感を持ちませんが、中学校がスタートの私のような教員には、合唱指導はとても苦痛でした。私は社会科の教員として採用されたのであって、音楽指導などとてもできない。できないだけなら努力でカバーするが、そもそも音楽だけがそんなに優遇される意味側からない。社会科コンクールだって数学コンクールだってないのに、なぜ合唱コンクールだけがあるんだ? というわけです。

 

 突出しているといえば、体育祭やクラスマッチ、道徳や健康教育などもそうです。教員養成学部を出てきた先生方ならまだしも、中学校にはそれ以外の学部から教員になった方がたくさんいますから、そういう人たちには教科を教えに来たという意識が強く、教科以外の指導は大変苦痛なのです。

 

 それが知・徳・体という教育の三領域に対応するものだからということに気づくまでに、私の場合は大変時間がかかってしまいました。

 図式的にいえば、教科教育は『知』に、体育祭やクラスマッチ、健康教育は『体』に、そして道徳の授業や日常の道徳教育、生徒会活動や学級活動の多くは『徳』に対応するということです(もちろんこれは図式的に分けたものであって、多くは二重三重に重なり合いますが)。

 体育が優遇されるのはその三領域の重要な柱のひとつだからですし、音楽は『徳』に関わるものとして重要視されます。音楽にそうした力のあることが、経験的に理解されているからです。

 

 したがって、合唱指導といっても音楽科教員のそれと学級担任のそれとでは、おのずと力点が変わってきます。音楽科の教員の場合、比較的技能面に力が加わるのに対して、学級担任の場合はクラスの団結とか困難を乗り越えるとか、友を信頼するとかいった『徳』に関わる部分に力点が傾かなくてはならないのです。

 

 そうした観点から昨日の6年生の様子を見直しますと、今回の経験を通して、この子たちはひとつ大きく乗り越えるかもしれないな、という気がしてきます。音楽を柱に、『徳』の領域で大きな進歩を遂げるのではないかという可能性を感じるのです。それは長い道のりを歩いて帰ってきた1・2年生にも言えることです。