「目腐(めぐさ)れ」

 

 骨董や美術品の収集家の中には、他人に見られただけで芸術品の価値が減ると信じて、見せないようにしている人がいるそうです。これを「目腐れ(めぐされ)」と言います。見ただけでは価値は減らないだろう、という思いもありますが、一方でそうした感じ方が理解できないわけでもありません。なぜなら、美術品を見るひとの目は、純粋に美的価値を測るとは限らないからです。

 

「ああすばらしいものを見ることができた」と喜んでくれればいいのですが、「なんだ成金趣味が」とか「芸術の価値もわからないくせに」とか、あるいは「結局金のあることを自慢したいんだな」とかいった思いをもつひともいるのかもしれません。それは収集家への冒涜であると同時に、美術品そのものへの冒涜であると、そんな感じ方です。だから「価値が減る」のです。

 

 以前,校長先生が下駄箱の靴揃えについて、「みんなで靴がきちんと揃えられるようにしようとしても、必ずできない子が何人か残る。それについても予め子どもたちに『そんな時,どうしたらいい?』と聞いておけば、必ず『注意する』といっしょに『代わりに揃えてやる』という答えが出てくる。そうしたら『そうだね,代わりに揃えてやればいいんだね』と言っておけば揃うようになります」とそんなお話をされたことがありました。その際「そうした指導をした後でいっしょに『それからね、カゲで善い事をした時は、ひとに話しちゃダメなんだよ』と教えておくといいですよ」という話を付け加えられました。(私にはそれがとても新鮮でした)

 

 人の見ていないところで善い行いをすると言うのは非常に高い徳性です。そうした高い道徳性を獲得させるためには小さな時から,こういった躾けを受けておく必要があります。

 

 よく見ていると時折、カゲで親切をした上に、自分がやったという証拠を丁寧に消して歩くような人に出会います。まさに「目腐れ」を嫌う人たちです。きっと幼い時からそういった教育を受けてきた人たちなのでしょうね。