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「発達の見極め」~小学生の発達段階を図式的に見ると

 保護者と子どもの指導の方向について話しているとき、どうしても微妙に絡み合わないことがあります。保護者が子どもに対して高すぎる要求をしていたり、逆にあまりにも子供扱いしているような場合です。私たちのほうは長い経験から、1年生にはこのくらい、3年生ならここまで、といった感覚を身につけているのですが、保護者の方は一人か二人程度の子どもしか見ていませんのでそうした齟齬が起きるのです。それについては、言葉できちんと話していない、という意味で、私たちにも責任があります。

 そのことについて、私はしばしば「絵」を例に挙げて話をしました。
 少し観察すればすぐに気づくことですが、1・2年生の絵というのは天真爛漫・自由闊達で実に生き生きとしたものです。それに対して・6年生の絵は悪く言えば「まだまだへたくそな大人の絵」。その中間である3・4年生の絵は両者が混ざり合い、また表現に困った子はしばしばマンガに逃げます。学校の図工の時間の絵にマンガが登場するのは、基本的に3・4年生だけです。

 私の大学の師匠は「愛他精神」の研究者ですが、彼の一番の業績は、小学校の3・4年生に相当する9歳・10歳において思いやりの精神がもっとも減衰することを発見したことです。大人たちの道徳観をそのまま表現する8歳までと、自らの道徳観にしたがって行動する11歳以上との狭間で、一瞬道徳観を見失い自己中心的になるのがこの時代だというのです。また障害児学校では古くから「9歳・10歳の壁」という考えがあり、特に聴覚障害において、それ以前に障害を持った人とそれ以後障害を持つことになった人との間には、抽象的なものの考え方に差があることが明らかになっています。つまり、個人差はあるものの、1・2年生と3・4年生、あるいは5・6年生との間で、指導の方向が微妙に、しかし確実に異なるのです。

 たとえば「いじめ」に類する指導で、「○○ちゃんが悲しい思いをするでしょ?」という言い方は1・2年生には通用するものの、3・4年生では簡単に定着せず、5・6年生となると外から与えられた価値だけでは動くはずがない、ということになります。また、1・2年生で許されたことも3・4年生になったら許されず、1・2年生の頃には好ましいと思われたことでも、3・4年生になったら止めなければならないことも出てきます。もちろん3・4年生だから許されることもたくさんあります。

 もう中学年なんだから、もう高学年なんだから、という言い方を使っての指導はやりやすいものですし必要なものです。しかしそれぞれの時期に何ができなくてはいけないのか、具体的に考えておかないとうまくいくものではありません。