カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「ネットショップの偽評価を見破る方法があった!」~アマゾンとサクラチェッカーの話②

 ラジコン・カーの交換には成功したものの、
 届いた製品はどうにも納得できないものだった。
 アマゾンでは高評価だったのに――。
 どうやらそれには裏があって、それを見破る方法もあったのだ。

という話。f:id:kite-cafe:20220114065932j:plain(写真:フォトAC)

【ラジコンカー、実際に見たらつまらない商品だった】

 昨年の大晦日、ハーヴは私たちから贈られたラジコン・カーを大切に抱えて、家族と一緒に私の家にやってきました。操縦の腕前を見せようというのです。
 わずかな期間だというのに瞬く間にうまく動かせるようになって、とても感心しました。しかしラジコン・カー自体はあまり感心できません。思ったより見た目が貧弱で、80mと謳っている遠隔操作距離もせいぜい10m程度、すぐに動かなくなってしまいます。バギーなのだから悪路もモノとせず、と行きたいのですが、石のあるところでは自分自身がどこかへ飛んで行ってしまい、まっすぐに動かすのが容易ではないのです。


 前回はまったく動かず、今回は動いてもこの程度。
 気になってアマゾンのページを改めて見ると、同様のコメントはいくつもあります。電波が届かない、動きが悪い以外に、充電できない、できても短時間しか使えない、部品が壊れた等々、低評価のコメントはさんざんです。
 それにもかかわらず全体評価は5段階の3・8で、決して悪い数字ではありません。高得点をつけた人たちのコメントも上々です。どうしてこんな不均衡が起こるのか――。

 そんなふうにボヤくと、聞いていた息子のアキュラがこんなふうに言います。
「父よ(アキュラはそういう言い方をする子です)、それ、きっと製造元とか業者が高評価を入れてるよ。バイトを使って釣り上げてるんだ」
 なるほど、同様のことは姉のシーナも疑って口にしたことがありました。
 アキュラは続けて、
「『サクラチェッカー』っていうのがあるけど、知ってる? それを使えばサクラ抜きの評価が出るから調べみるといいよ」

【サクラ評価を見破る『サクラチェッカー』のすごさ】

 サクラチェッカーというのはWebで提供されている分析ツールで、アマゾンの商品についてサクラ評価(業者等によるかさ上げ評価)を排した点数を教えてくれるものです。

sakura-checker.j
↑ここには「アマゾンや楽天など~」とありますが、基本的にアマゾンの商品だけが対象です。楽天などの商品を調べる方法はサイトの中にあります。

 使い方は簡単で、サクラチェッカーのサイトを開き、検索窓にアマゾンの商品URLを投げ込んでリターンを押すだけです。アキュラに教えられ、さっそくハーヴに贈ったラジコンカーを調べるとこんな表示が出てきました。f:id:kite-cafe:20220114070136p:plain
 アマゾンでは3・8点もあったのに半分以下。評価点は5段階で最低でも1点は入るわけで、だから1・67は「ほとんどダメ」といったレベルです。最初からこれを見ておけばよかった。

 ちなみに先月購入したシャープの大型テレビの評価は次のようなものでした。f:id:kite-cafe:20220114070159p:plain
 納得ですね。

 私はこれまでアマゾンで購入したものの、あまり感心しなかった商品を次々と検索窓に入れて調べてみましたが、ことごとく「危険」でした。逆に、使い心地の良いものは、やはりサクラチェッカーでもいい。
 このサイトを知らなかったばかりに、けっこうな金額をムダにしていたみたいです。

「贈ったクリスマスプレゼントが不良品だった」~アマゾンとサクラチェッカーの話① 

 クリスマス・プレゼントとして
 孫のハーヴに贈ったラジコン・カーが動かない
 そこで“交換”なのだが これがなかなかうまく行かない
 時間をかけてようやく解決したのだが・・・

という話。

f:id:kite-cafe:20220113071953j:plain(写真:フォトAC)

【贈ったクリスマスプレゼントが不良品だった】

 昨年のクリスマス、孫のハーヴの希望はラジコン・カーでした。
 例年、娘のシーナのところではサンタさんとは別に、ジジ・ババからもプレゼントが届くことになっています。私はサンタさんからの第二のプレゼントでいいと言ったのですが、シーナたちには別の方針があるみたいです。
 11月末、例年の通り何が欲しいいか知らせてよこすように言うと、ハーヴは父親のエージュと一緒に慎重に選んで、バギータイプのラジコン・カーに決めました。それを私が聞いてアマゾンで購入し、届け先を娘のところにします。届いた品物はシーナが包装し直して12月24日を待つという手はずです。

 ところがプレゼントが渡されたはずのクリスマスイブの翌朝、気づくとシーナからこんなLINEメッセージが入っていました。
22:34 Sheena おとうさん、すごく言いにくいのだけど、ラジコン不良品だったの。返品とか交換の手続きってできるかな??
22:35 Sheena そもそもコントローラーの電源が入らなくて(新品の電池を入れても、赤く点灯しない)それを先方に伝えてもらえたらありがたいです。


 そこでさっそく交換手続きをしようとしたのですが、ここで新たな問題が発生します。アマゾンの“交換”は、一度返品手続きをして、再度注文し直すという形で行うのですが、なんと一カ月前には3990円だったラジコン・カーが5980円と、1990円も値上がりしていたのです。クリスマスイブの駆け込み需要を見越してのことでしょうか。しかしこれでは“交換”とはいえません。
 

【カスタマーセンターと話す】

 そこでアマゾン・カスタマーサービスにアクセスして、チャットボット(ロボットとチャットで話しができる)に問い合わせるのですが、これがさっぱり要領を得ず、仕方なく直接電話をかけることにしました。
 時計を見るとまだ午前6時。カスタマーセンターは24時間対応ですが、早い時刻の方が通りがよさそうです。そこですぐに電話をすると一発で開通、しかし交渉はそこから1時間もかかりました。

 実際に1時間も話したのではなく、会話は10分程度、あとは受話器から流れてくるクラシック音楽を延々と聴いていただけなのですが、まず事情を話し、別の担当者に替わりまた同じ話をし、やんわりと断られ、しかし粘り強く話すと「社内で相談します」(午前6時半に相談か?)と言われ、ときどき「お待たせしておりますが、もうしばらくお待ちください」とアナウンスが入り、最後は差額をアマゾンが負う(なんで不良品を出した出品者が負わないんだ?)ことになり、お詫びも含めてクーポンで3990円送る(そこまでしてくれなくてもいいんだけど)ということで決着がつきました。

 チャットボットやそれ以前の作業も入れれば2時間近くかかったわけですから、2000円のクーポンは時給に直して1000円。中学校の教師として部活顧問をしていたころは時給450円(ただし大会などで4時間以上引率した場合のみ。4時間未満の場合は0円)に比べたら倍以上ですから大いに満足です。

 ところが、問題はそれでも終わらなかったのです。

(この稿、続く)

「突然死ぬと、救急車とポンプ車が来る」~十分な用意もなく自宅で死ぬことの厄介と留意 

 正月早々 近所で一人暮らしの女性が亡くなった
 救急車も消防車も、警察も駆け付けるというものものしさだったが
 近所では驚くほど単純なことが問題となった
 誰も家族の居場所を知らなかったのだ

という話。

f:id:kite-cafe:20220112075207j:plain(写真:フォトAC)

【近所で、ひとり暮らしの女性が亡くなった】

 正月三日午前中、所要があって家を出て、小一時間ほどして戻ったら自宅の50mほど先に消防車が停まっていました。近所の人たち数人が出ていて、顔を寄せて何ごとか話し合っています。消防車は一台だけですから、火事ということはないでしょう。
 そうした場所にあとからのこのこと出かけて行くのは、品がないようで嫌なのですが、ふと考えたら今年度、私は隣組の組長で、何かあったら動かなければならない立場です。そこでいったん玄関に向かった踵を反して、人の輪に入ることにしました。

 近くに行くと角を曲がったところに救急車もいて、それとは別に背中に「POLICE」と書かれたベストを警察官も何人もいます(パトカーは見当たらなかった)。あまりのものものしさに恐る恐る聞くと、角の家のひとり暮らしの奥さんが亡くなっていたのだと言います。74歳ですから、まだまだ若いといっていい年齢です。

 元日よりたびたび電話を入れていた友だちが、あまりにも繋がらないのを不審に思って訪ねてきたところ、テーブルに突っ伏して亡くなっていたのだそうです。日中に亡くなったらしく、カーテンも開いていればベランダ側の窓の鍵もかかっておらず、すんなりと中に入れたみたいです。

【十分な用意もなく自宅で死ぬことの厄介さ】

 人は若いころは、案外と死に直面しないものです。
 祖父母の死に立ち会うと言っても孫たちが慌てて駆けつけることは稀で、たいていは親たちが周辺を整えてからの対面となり、葬儀の準備やこまごまとした相談の輪からは外されています。だから知らないことも多いのですが、大人になってたくさんの葬儀に招かれ、あるいは葬儀の運営責任者になったり喪主になったりするうちに、さまざまなことを知るようになります。そのひとつが、十分な用意もなく自宅で死ぬことの厄介さです。

 自宅にいても、長いこと病んでいて、たびたび主治医の往診を受けていたというような場合は簡単です。その主治医に来ていただき、死亡診断書を書いてもらえばいいだけです。ところがこれといった病気もなく、自宅で突然亡くなったというような場合には、簡単には行きません。火葬してしまったあとで犯罪の証拠がでてきたりしたら、取り返しがつかないからです。
 法律上は検察官が検死をすることになっているそうですが、実際には対応しきれず。警察官が代行する場合が多いようです。テレビドラマの「ハコヅメ」にもそうした場面が出てきました。

【突然死ぬと、救急車とポンプ車が来る】

 私が初めてそうした事例に遭ったのは、実家のお向かいでご主人が亡くなったときです。いわゆるヒートショック(気温の変化によって血圧が上下し、心臓や血管の疾患が起こること)による死亡だったのですが、やはり救急車とともに消防車も駆け付け、あとから警察が入って丸一日検死などの活動を行い、そのために葬儀の手続きがずいぶん遅れました。
 消防車(ポンプ車)までやってくるのは「PA連携」といって、出動先から別の場所へ救急搬送に向かわなければならなくなった場合、消防車の方が残って隊員が対応を続けるためだそうです。「P」は消防ポンプ車(Pumper)、「A」は救急車(Ambulance)のことを言います。消防署員は救急隊員でなくても十分な訓練を受けているので、基本的な処置については問題ないないと考えられています。
 
 またそれとは違って、別の意味で驚いたのは伯母が亡くなったときのことです。
 伯母は朝、新聞を取りに行った玄関で倒れ、なんとか寝室までもどってきたもののそこで意識を失いました。たまたまそれがデイサービスの日で、伯母が出て来ないことを不審に思った担当者が家族に知らせ、それで家族が駆けつけました。
 幸い息があって病院に運ばれると午前中には回復し、それでも一晩は様子をみようと留め置かれた病室で、深夜、亡くなったのです。この場合にも警察が入って現場検証などに時間がかかりました。いったん回復しても、それでも調べるというのは、丁寧といえば丁寧なですが、ちょっと驚きました。

【何も触れてはならぬ】

 もっとも検死が入ること自体の厄介さは、基本的に家族だけの問題です。ところが今回ご近所で起こったことには、別の厄介さがありました。発見した友人も隣組の人々も、誰も家族の連絡先を知らなかったのです。しかも調べることもできない。
 検死作業が始まると、室内の何ひとつ触ることができないのです。住所録だとか携帯だとか、どこかにヒントはあるはずなのに一切調べることができない。それでは何も進みません。
 幸い今回は、以前、近所に住んでいた人で、娘さんの元夫の名前と勤め先を知るという人が見つかり、その伝手を辿って家族に知らせることができました。しかしそれでも最終的に連絡できるまで2時間近くもかかってしまいました。

 同じような独り暮らしは日本中に何百万人もいます。私も日中、母を独り暮らしさせていますが、もし屋外で倒れたり、あるいは火事を出して消防が大量に駆け付けたとしても、誰も私に知らせることはできません。連絡先を知っている人は近所にひとりもいないからです。
 せめてお向かいさんぐらいには、電話番号を渡してお願いしておいた方がいいと思わされた出来事でした。
 

「うんざりするほど淡々とした、しかし最も大切な家族の歴史」~3年ぶりに家族が揃って・・・

 年末年始、直接の私の家族8人が揃った
 二年前は娘一家が婚家で過ごしたため 実はこれが3年ぶり
 久しぶりの全員の顔を見ながら
 家族の歴史について考えた
という話。f:id:kite-cafe:20220111072938j:plain(写真:SuperT)

【ようやくそろった我が家】

 今年の私の家の新年は8人家族でした。
 昨年は子どもたちが新型コロナのためのドタキャンで、結局、私たち夫婦と93歳の母の3人だけでしたから、ずいぶんにぎやかな正月となったわけです。今年加わった5人は娘夫婦と二人の孫、そしてまだ独身の息子です。

 11年前の東日本大震災の年に父が亡くなるまで、大みそかから新年にかけては私の実家で過ごすのが常でした。弟の家族も集まって9人の年越しが通例で、父が亡くなったあとも母が元気なうちは、1~2年、同様に過ごしたと思います。しかしそのうち母が「準備が大変」と言い出し、私の家で新年を迎えるようになってからは弟の家族とも疎遠になりました。幸い同じ都市に住んでいますから一年に何回も会うことはあるのですが、これが他県だと数年も会わないということになりそうです。
 そして実際に、多くの家族がそのようになっています。つまり兄弟家族が、何年も会うことがない状態が続く、ということです。

【私の家族の歴史】

 私の主催する私の家族――妻と二人の子、そして子どもたちがもっている(あるいはこれから持つ)家族も、やがて同じ運命を辿るかもしれません。
 私たちが元気なうちはなにくれと会う機会も多いでしょうが、死んだ後まで姉弟が仲良くしてくれるかは未知数です。お互い自分にかまけていれば、その気はなくても、いつの間にか疎遠になってしまうということもあるでしょう。そうなったら私の家族は名実ともに解体です。

 私は昭和63年の秋に結婚し、翌々年(平成2年)に娘が生れ、その3年後に息子が生れて4人家族となりました。それから15年経って娘が都会に出たために家族一緒に暮らす生活が終わり、3年後、今度は息子が家を出て、さらにその3年後、娘が24歳で嫁いで姓を変えたので名実ともにひとり減ったことになります。やがて孫が二人できましたが、それは他家のできごとです。息子が結婚して子ができても、それも他家の話でしょう。
 私はあと何年生きるか分かりませんが、それほど長いことでもありません。

 こうした私の家族の過去と現在、未来のあり方は、この国ではほぼ標準に近いものだと思われます。大雑把に言って、家族はこうした歴史をたどるものだという話です。

【うんざりするほど淡々とした、しかし最も大切な家族の歴史】

 私は学生時代、偶然のことからほぼ同時期に、深沢七郎の『笛吹川』とガルシア・マルケスの『百年の孤独』を読んだことがあります。『笛吹川』は武田信玄の誕生から勝頼の死まで、武田家の盛衰とともに生きた笛吹川沿いの農民一家、六代にわたる物語で、『百年の孤独』はコロンビアのジャングルを開拓した一族が、盛隆を迎えたもののやがて滅亡するまでの7代百年間を描いた小説です。両者ともそれぞれの代で重大な事件をかさねながらも、全体としてはうんざりするほど淡々とした、退屈な時間が流れて行きます。
 それらを読んでから半世紀も経って、私はようやく物語の意味を理解します。私たちの家族の大方の歴史も、似たようなものなのです。

 それにしても8人家族で過ごした4日間、妻は朝から晩まで食事の用意をし、私は食器洗いと後片付け、それに洗濯ばかりをしていた気がします。二世帯住宅を考えると7~8人の家族はそう珍しいものではないでしょう。そんな家の主婦はとんでもなく大変な生活を強いられているのだろうな、と心から感心したものでした。

 

「コロナ感染第6波の憂鬱な朝」~新学期が始まるというのに

 倍々ゲームのように感染者を増やしていくオミクロン株
 平和だった年末年始が終わって
 いきなりこんなふうになるとは思わなかった
 私にできることはないので 皆さま宜しくお願いします

という投げやりな話。

f:id:kite-cafe:20220107075433j:plain(写真:フォトAC)

 昨日は新学期に対する前向きな話をしたのに、今日は憂鬱な朝です。

 年末年始に人が動けばコロナ感染が再拡大することは分かっていたものの、これほど急激に増えるとはだれも思っていなかったでしょう。オミクロン恐るべしです。
 しかも今回は子どもも容赦されませんから、最悪の場合、学校で次々とクラスターが生れ、それを子どもたちが大挙して家へ持ち運ぶ――いわば児童生徒がペストのネズミの役を果たすということになりかねません。

 おそらく学校としては手を打ち尽くしていますから、マスク・手洗い・うがいといった基本的感染対策で防げず学級閉鎖でも対応しきれないとなると、あとは休校以外に対策は残っていません。一昨年の3月~5月が繰り返されるわけです。もちろん全国一斉ということにはなりませんから、自治体や学校の判断が問われることになるでしょう。

 重症化する人は少ないといいますが、万が一クラスターを出した学校の保護者・祖父母がコロナ感染で亡くなったりしたら、担任も校長も教委もこころ穏やかではいられません。気が張り詰めますね。
 全国的に見れば早いところでは昨日から、遅いところでも11日には3学期が始まりますから、対応は急がなくてはなりません。

 思えばちょうど一年前の今ごろは、さっぱりワクチンを運んでこない政府にイライラしながらも、とにかく2~3カ月歯を食いしばって頑張れば接種が始まる、そうなれば自由になれると希望があったのに、オミクロンのおかげですっかり台無しです。やり切れない。
 しかしそれも運命です。

 皆さま、こころして取り組んでください。
 田舎の“ほとんど独居老人”の私にはできることがないので――。
 

「学校再開にウンザリしている先生方へ」~3学期の始まりに

 どんな仕事も一年目は辛い
 二年目は世界が変わって見える
 しかし何とかやっていけると思うには やはり10年はかかる
 どんな仕事に就いたとしても

という話。

f:id:kite-cafe:20220106062418j:plain
(写真:フォトAC)

【気持ちよく出勤した】

 再任用現職の妻は、昨日、半日出勤で心にアイドリングをかけ、今日から正式出勤です。会議も多少は入っているようです。

 新学期、現場にいたころの私は学校も仕事も好きでしたから、割と張り切って出かけたと思います。
 もちろん最初からそうだったわけではありません。初任で学級経営に失敗してクラスは荒れ放題でしたから、本当に大変で楽な舵取りができるように思えなかったのです。けれど、ものを知らないというのは案外うまく働くこともあって、これまであんなに酷かったのだからそれ以上悪くなることもないだろうと、根拠のない希望に支えられて登校しました。
 実際、二学期以上に悪いことはありませんでした。

 それは、あとから考えれば子どもたちだって新年・新学期は良いものにしようと、気持ちを改めて出てきているからです。2学期の初めだってそうでしたが、何といっても日数が長すぎて清新な気持ちがもちません。その点、3学期は極端に短いですし、カレンダーにバツ印をつけているだけで終わってしまいます。さらに加えて途中に節分があって、やり直し気分を再興することもできます。鬼を払ってやり直しです。

 2年目もその荒れ放題のクラスを担任しました。大昔のことですから簡単に担任を外さなかったのです。生徒にはクラスを荒らせば担任を替えられるという経験を積ませたくありませんし(全校的にも)、担任にも乗り越えてもらわなくてはならないという考え方がありました。もちろん現実問題として校内に進んで引き受けようなどという教師はいませんし、事情を知らない転任組教師に任せるのも心配だといった事情もあったのでしょう。
 おかげで私は3年間とても苦しい日々を送ることになりましたが、それで外されたくはなかったし、持たせてもらってよかったと思います。
 このときの経験は生涯の宝となりました。ただし生徒たちには気の毒だったのかもしれません。

【それでも2年目はかなりマシ】

 初任の2年目は――、ここには決定的な違いがありました。管理職になっての2年目も同じでしたが、見通しがあると世界がまるで違うのです。2年目は力の入れどころと抜きどころがわかります。これは仕事にメリハリができるということです。すべてに全力投球だった一年目は余裕というものがどこにもなく、疲れ果てて失敗も増えるばかりでした。
 教員の仕事は膨大ですが、前年の書類を書き直すだけでいいものもあれば、適当に扱っていい仕事だってあります。それになんと言っても、1年目は新しい仕事に会うたびに、それは何か、全体像はどうなのか、手順はそうすればいいのか等々、ひとつひとつ知るところから始めなくてはならなかったのに、2年目はほとんどが理解可能です。
「段取り八分、仕事二分」といいますが、その八分の部分がとても楽になるのです。

 中学校の先生だと授業準備が格段に楽になります。1年目で同じ授業を別クラスで何回か行っていますから、あとは何かを加えたり減らしたりすればいいだけです。一からやるのとは全く違います。
 小学校の先生でも、教材は異なってもやることに大差はありません。

【職人芸は時間がかかるが埒は開く】

 ただ、教育活動のその場その場の対応、個々の児童生徒あるいは保護者への対応となると簡単には行きません。なにしろ「ああ言えばこう言う」「こう来たらああする」といった手練手管の世界ですから経験がものを言う、一朝一夕には身につかない職人芸の世界だからです。

 大工さんだってそうでしょう・基本的なノコギリやカンナの使い方やさまざまな用語・方法については1年もあれば身につくが、レベルの高い仕事だとか客の無理な注文に応えるとなるとそう簡単にできるようになるわけではない、経験と学習によってしか身につかないものです。
 営業マンだって小売業だって、警察官や消防士だって、およそ職業というものはどれも同じようなものでしょう。どんな状況になっても不安なく対応できる、むしろ困難が大きい方が面白いと思えるには、やはり10年はかかります。
 私の場合は7~8年目あたりから何となくやっていけそうな気分になり、途中で校種を変ったので一部振出しに戻って、12~13年目あたりになってようやく「学校で起こることのほとんどは何とかなる」と思えるようになったと思います。
 新学期に張り切って出勤できるようになったのは、それからのことです。

 ただしそれで暇になったわけではありません。何といっても面白いことに歯止めをかけるのが難しく、より良く、より深く、より楽しくと考えると、時間は食われる一方です。私の場合は仕事と同じように大切で面白い、家族という枷がありましたから行きっ放しになりませんでしたが、楽しさに溺れる人だって少なくありません。
「仕事、仕事で、家庭をまったく顧みない働き蜂」というのも、教員に限ったことではないでしょう。働き蜂にならない方法のひとつは、つまらない仕事に就いていることなのかもしれません。

【教職の真っ白な側面】

 教職はブラックだという評価は定着し実際にブラックですが、他の仕事がどれほどホワイトかは分からないところです。もちろん就労条件も良く、働き甲斐のある職場というのもたくさんありますが、そういうところはたいてい入るのが難しいということになっています。
 私の場合は教職に就く前の仕事が、半分ひとを騙すような内容のブラック企業でしたので、内容の限りなく白いこの教員の世界を離れることは考えませんでした。 
 そういうことです。