カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「才能のない者、競争に飽きた者の楽しい生き方」~才能と努力について④ 

 才能――激しい負けん気や厳しい集中力・持続力、他を上回る頭脳や体力など、
 みんなが持っているわけでないから、これを才能という。
 しかしあれば幸福を約束されるわけでも、なくて不幸なわけでもない。
 そこには別の生き方もたくさんある。

という話。  

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(写真:フォトAC)
 
 

【「頭がいいのに努力しない子」ではなかった】

 私は高校生のころ、さっぱり成績の上がらない自分のことを「頭はいいのだけど努力をしないので伸びないだけだ」と思っていました。その裏には「何か目標が見つかってその気になりさえすれば、(頭はいいのだから)すぐにも成績は伸びていくはずだ」という思いがありました。
 しかしいつまでたっても「その気」になることはなく、二十代の後半になって気づいたことは「努力できるかどうかだって才能じゃないか」ということです。凄まじい集中力・持続力、余計なことに気を取られずに専心できることなど、すべて自分には欠けていたのです。

 さらにしばらくして、教員となってたくさんの「頭のいい」子どもたちを見ているうちに、また考えが少し変わります。「努力できるかどうかだって才能じゃないか」には変わりないものの、あの「頭のいい子」たちが本当に精励刻苦、辛い気持ちに耐えて努力しているのかというと、そうでもないことに気づいたからです。実に楽しそうな一面があります。そして理解したのです。
“私を置き去りにしていった友人たちは、私の半分も努力していなかったのかもしれない。私は、本当は頭なんかよかったわけでなく、それなのにかろうじてついていけたのはよく努力したからかもしれない”
ということです。

 登山に例えれば、100m登った友人が50mしか登っていない私の2倍もがんばったわけではないということです。何しろ私の登山ときたら3歩登って2歩滑り落ちるような情けないもので、50m登るためには150m分も足を動かさなければなりません。せっかく手に入れたものをすぐに失ってしまう。
 それに比べたら友だちは実にすいすいと、気持ちよく登っていくのです。あれだったら登山も楽しく、200mも300mも苦もなく進んでしまうに違いありません。私だって同じ能力があったらもっと楽しく進めたはずです。しかしやはり私は苦しく、だから諦めざるを得なかった――。

 彼らが本当に頑張らなくてはならないのは標高8000mを越えてからです。私はそこにいません。
 
 

【才能のない者の楽しい生き方】

 私たちは幼少期、何かができるようになったというだけで、誉められ、喜ばれたものです。
「寝返りができるようになった」「ハイハイができるようになった」「歩けるようになった」・・・。
 それがいつしか競争に巻き込まれてしまい、他人より優れていることが必要だと思い込むようになります。学力競争はその基本的なものです。
 しかしこの競争を最後まで戦いきれる人は稀で、地方の高校で天才のように言われた人も東大に入ればほとんどが“単なる東大生”、首席で卒業できるのはそれぞれの学科で一人しかいません。しかも勝ち残ってしまうとまた新たな競争に参加せざるを得ない。

 競争を軸として生きる限り、どんな世界でも結局、負けるまでは勝ち続けなくてはなりません。それが宿命です。人間はもともと競争が大好きですから参加できる間はそれもいいでしょう。何も早々に降りる必要はありません。
 ただ、負けたあとの生き方、あるいは競争に飽きたあとの生き方についても、やはり準備しておくことが必要かと思います。
 その意味で、一昨日、ノーベル賞の授賞発表があった真鍋淑郎先生の、次の言葉は励みになります。
「研究を始めたころは、こんな大きな結果を生むとは想像していなかった。好奇心が原動力になった。後に大きな影響を与える大発見は、研究を始めた時にはその貢献の重要さに誰も気付かないものだと思う」

 激しい負けん気も闘争心もなく、厳しい集中力や持続力、他を上回る頭脳や体力はなくても、好奇心を原動力とするならやっていけるかもしれません。もちろんノーベル賞を取るためには真鍋先生のような才能も必要でしょうが。
 

「成功する人たちの共通点、良い意味での”恥知らず“が生き残る」~才能と努力について③

 毎日放送プレバト!!」に出てくるような芸能人や一流アスリート、
 彼らには共通する点がいくつもある。
 そのうちのひとつが”恥知らずだ“ということ。
 恥知らずたちが、最初の一歩をあゆみはじめる――。

という話。

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(写真:フォトAC)
 
 

【成功する人たちの共通点】

 昨日の大谷翔平・梅沢冨美男、一昨日の「品のない二人の女性のふるまい」の話もそうですが、技能を極める人たちにはいくつかの共通点があります。思いつくままに列挙すると、
 1.たぐいまれな負けん気・闘争心
 2.異常な集中力
 3.その持続力
 4.師と仰ぐ人、または書物・手本に対する素直さ・従順さ
 5.しかもそれらを乗り越えようとする向上心
 6.記憶力・体力・俊敏性といった基本的能力

 

 私たちが通常「才能」と考えるのは6番の「基本的能力」で、例えば野球選手ならそれにふさわしい体格、運動能力がなければ最初から話になりません。しかし世の中に体格や運動能力に恵まれてしかも努力ができる人などいくらでもいるわけで、その中でも突出した活躍ができる選手となると1~5のうちのかなりの数の条件が備わっている必要があります。

 そして、さらにもう一つ大事な点があります。

 
 

【第7の共通点】

 毎日放送の「プレバト!!」には将棋や柔道と同じように「段位」あります。梅沢冨美男は「有段者」を経て「永世名人」まで駆け上ってしまいましたが、もっと低い、「級」のレベルでの競い合いも行われていて、俳句は中学校の国語以来、絵筆も中学校卒業から握ったことがない、といった人が出てくることがあります。

 俳句については分からないこともありますが、ダメな絵画の酷さについては私にもよく分かります。中には小学校4年生でもこんな絵は描かないだろうといった下手な作品もあったりします。
 私だったらとてもではないですが、人様の前に出せないものを、彼らは堂々と出してくるのです。

 ゴールデン・タイムの人気番組に出てくるような芸能人ですからすでに本業で名を上げていて、余技(俳句や絵画)でいくら恥をかいてもかまわない、といったといった自負でもあるのでしょうか、とにかく恥知らず。
 そしてその「恥知らず」こそ、物事を成し遂げる人が最初の関門を潜り抜ける原動力です。私のように「恥ずかしいから」とか「もう少し形になってから」とか言ってうしろに下がっているような人間は上達しません。

 これについて吉田兼好は、徒然草の第150段でこう言っています。
 芸能を身につけようとする人で、「うまくできないうちは、なまじっか人に知られまい。内緒でよく練習したうえで人前に出るのが理想的である」と言う人があるけれども、こんなことを言う人は、一芸も習得できることはない。
 未熟なうちから、上手な人に交じって、笑われようとも恥ずかしがらず、平気で押し通して稽古に励む人は、生まれつきの才能がなくても、中途で休まず、練習を我流にせず何年も励んでいると、才能があっても芸にうちこまない人よりは、ついには上手の域に達し、人徳もそなわり、世間からも認められ名声をえるものである。
 天下に聞こえた芸能の達人といへども、はじめは下手との評判もあり、欠点もあったものである。
 けれども、芸能に定められたいましめを正しく守って、勝手気ままにしなければ、その道の名人になることは、どんな道でもかわることはない。


プレバト!!」に出てくるような人たちの7番目の共通点がこれです。
「良い意味での恥知らず」

 彼らは本業でも、初めのうちはそうだったのかもしれません。
 
 

【良い意味での”恥知らず“が生き残る】

 考えてみれば私たちは幼児の時期には何でも褒められました。
 ハイハイができるようになったといっては誉められ、立った、歩いたといっては誉められ、オマルでウンチができたといっては誉められました。それは他の赤ちゃんより早くできからではなく、上手にできたからでもありません。とにかく”できた“ことに価値があり、親は喜び、大げさに騒いだのです。
「黒々と並んだウンチの入るオマルを前に、下半身裸のまま、戸惑いながらも誇らしい表情で立つ幼児」
という図には、記憶のある人も多いと思います。

 しかしある時期から、私たちは”できた“だけでは誉められなくなってしまいます。「(他人)より速く、(他人)より高い得点で、(他人)よりうまく」できないとダメになってしまうのです。そして子どもは委縮する。
 しかしそこでも萎縮しなかった“恥知らず”が、結局は成功への道を歩き始めるのです。

(この稿、続く)
 

「野球を選ばなかった大谷翔平は無名に終わっていたのか」~才能と努力について② 

 どんなに非難されても土俵上の白鵬は勝とうとすることをやめられなかった。
 ボクサーの具志堅用高は状況を考える間もなく腕が動く。
 大谷翔平はほぼ思った通りに体を制御でき、
 梅沢冨美男は自由に言葉をコントロールする。

という話。

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(写真:フォトAC)
 
 

【野球を選ばなかった大谷翔平は無名に終わっていたのか】

 横綱白鵬が引退しました。
インタビューでは批判された“横綱らしくない取り口”について、
「土俵に上がると勝たないといけない自分が抑えられない。どうしたらいいのかわからない」
と語ったそうです。さもありなんと思います。

 昔、具志堅用高が現役時代、スポーツ記者が戯れに、
「軽くスパーリングをさせてください」
と願い出たらジムの関係者に、
「オマエ、死ぬ気か?」
と言われたそうです。現役時代の具志堅用高は、目の前にグローブが突き出されると反射的に全力で打ち返してしまう、そういうものだそうです。これもよくわかります。

 昨日はエンジェルスの大谷選手が最後のホームランを打ち、投手として9勝、バッターとして打率.257、ホームラン46本、100打点で今シーズンを終えました。期待されたホームラン王も「二けた勝利、二けたホームラン」も達成できませんでしたが偉大な記録です。今年期待された記録も、特に後者などは来年にも達成できてしまうでしょう。

 ところで大谷選手が幼少期、何らかの理由で野球を選ばず、他の競技を選んだとしまったらスポーツ選手として無名のまま終わってしまっていたでしょうか? Ifの話ですが、よほど間違った選択をしない限り、何かの種目で名を上げていたに違いありません。
 大関だった初代貴乃花は貧乏のために相撲取りになりましたが、そうでなければ水泳でオリンピック選手になっていたと言われています。
 
 

【梅沢冨美男はいかにして俳人となりしか】

 「プレバト!!」の俳句の部門ではタレントの梅沢富美男が大御所として君臨しています。タレントと書いたのは、今の若い人にとって“テレビの中で偉そうにしている嫌なジジイ”くらいの印象しかないかもしれないからで、超一流の芸能人であることは百も承知です。
 10代で梅沢劇団の花形の女形、「下町の玉三郎」として人気を博した俳優兼舞踊家で、32歳の時には小椋佳の『夢芝居』を大ヒットさせ、翌年の紅白歌合戦にも出場しました。その、一花も二花も咲かせた人が、60歳を過ぎてから俳句を始め、今や高校の副教材に載るまでなったのです。まさに「一芸に秀でたる者は、多芸にも通じる」です。
 ちなみに私はNHKの「日曜俳句」も見ているのですが「プレバト!!」の方がはるかにレベルが高く、しばしばよくわかりません。その頂点に梅沢は立っているのです。
(ただし梅沢冨美男、ニュース・コメンテータとしては大したことは言いませんので、その才能は芸能や文芸の分野に限られているのかもしれません)

 何故そんなことができたのか。
 ひとつ言えることは梅沢が幼少のころから、日本舞踊という古典芸能の修行を積んできたことです。日本的美意識という点は相通じるものがあるかもしれません。
 第二に、有無を言わさぬ師弟関係の中で技能を磨く「修行」という学習形式に、慣れていたというのも強みかもしれません。
 さらに、若いころから一流芸能人としての扱いを受けてきましたから、その交友においても一流の人々との関係が深く、感化されやすい環境にあったということもあるでしょう。
 しかし何といっても「才能があった」と一言で済ませる方が、よほど説得力があります。
 では、そういった人たちの「才能」の中身とは何なのでしょうか?

(この稿、続く)

「一芸に秀でる者は多芸にも通じるのだろうか」~才能と努力について①  

 「一芸に秀でる者は多芸に通ず」と言われて、
 何かで他人を圧倒するような人になろうと努力を重ねてきた
 しかしこの言葉には別の意味もあるのではないか。
 それはまったく身も蓋もないことなのだが。

という話。

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(写真:フォトAC)
 
 

【一芸に秀でる者は・・・】

 成績が振るわない子の点数を上げるためには、全般的な強化を図るのではなく、一番伸びそうな教科をひとつだけ引き上げるようにする、という方法があります。なぜか分からないのですが、そうすると他の教科も自然と伸びてくる場合があるのです。
「一芸に秀でる者は多芸に通ず」
というのはそういう意味だと思っていました。
 何でもいい、自分の得意なものを一心に努めればそこで得た技能は他の面でも役立つということです。
 
 バイオリンの練習をすればビオラやチェロの演奏でも習得能力は高まる(正の転移)という意味ではもちろん間違っていないのですが、しかし最近、ちょっと違うのではないかと思い始めているのです。
 
 

【品のない女性たちの雄叫び】

 先週木曜日の毎日放送プレバト!!」は3時間スペシャルでした。
 この番組は俳句や美術といった分野で芸能人の力を試して格付けしようというもので、かつては生け花などもあったのですが、最近は俳句を中心として水彩画や消しゴムハンコ、ちぎり絵といった分野が取り上げられるようになっています。
 先週のスペシャルは「水彩画」と「消しゴムハンコによるパラパラ動画」、そして「俳句」という構成でした。

 私は絵画が好き、妻は俳句が好きということで見ることの多い番組ですが、先週の水彩画はプレバト史上空前の激戦で、参加者7名中5名が100点満点。それを無理やりに順位付けをすることになりました。結果を発表順で言うと(というのは最下位から順に開いていくわけではないので)、7位が中川大輔、6位野生爆弾くっきー、3位田中道子、4位アン・ミカ、2位辻本舞、5位光宗薫、1位ナイツ土屋伸行でした。

 今回に限って蚊帳の外になってしまった中川大輔とくっきー(7位・6位)の発表のあと、5人が100点満点と紹介されて、緊張感の中で3位に田中道子の名前が出されると、この32歳のモデル兼女優は下を向いて吐き捨てるように大声で「クソ!」と叫びます。セクハラ覚悟で言えば、とてもではありませんが女性とは思えない激しい物言いで、3位の席に移動してからも目つきも態度も最悪でした。

 4位のアン・ミカも2連覇を狙いながら2位に甘んじた辻本舞も、大人ですから相応の態度でしたが、最後の、1位か5位かという場面で5位に終わった光宗薫は、「5位かァ。5位は初めて」と言って絶句したきり、あとは数歩進んでは立ち止まって両手を腰に当て「5位か」と言ってみたり、席を移ってからも「5位か」「5位か」と、こちらも田中道子に劣らぬ険しい表情で床を睨みつけています。本来が感情を表に出しやすい田中と違って、光宗は冷淡と言っていいほどの冷静さがウリの元AKBです。だからそのお行儀の悪さは一段と引き立っていました。

 もちろんそこには「バラエティ番組だから抑えなくてもいい」とか「感情むき出しの方が面白い」とかいったタレントらしい計算もあったと思いますが、ないものを表に出すことはできません。優勝を本気で狙っていたのに「3位とは!」「5位とは!」といった怒りやくやしさは、やはり本物だと思いました。
 
 

【彼女たちのしてきたこと】

 それはそうでしょう。彼女たちはスケッチブックの画用紙一枚という小さな画面に、20時間もの時間をかけてきたのです。ボートレースの高速艇が巻き上げる水しぶきや、競馬場の馬が跳ね上げる砂の一粒一粒を、穂先の細い絵筆で丁寧に描き続けるという、気の遠くなるような作業を何時間も続けてきたのです。それも単純作業ではなく、表現として行っているのです。包丁職人の鍛冶場を描いたアン・ミカは、飛び散るオレンジ色の炎のひとつひとつに紫を重ねるという辛抱強い作業のため「ひとつ余計に齢を取ってしまった」というほどです。
 そうした超人的な仕事の果てが優勝ではないと知って、怒り狂う気持ちも分からないではありません(アン・ミカは抑えました)。
 しかし――。

 「分からないでもありません」と書きながら、しかし私自身にそういう体験があるかというと、どうもないようなのです。水彩画はやり直しの効かない絵画です。油彩みたいに何時間も何時間も、気に入った表現ができるまで塗りたくっていればいいというわけにはいかず、大きく間違えたら取り返しがつきません。それだけに神経質な描写が延々と続けられるわけですが、それを20時間も続ける集中力と持続力と体力が、私にはないように思うのです。
 しかし彼女たちにはある。
 そう考えたとき、「一芸に秀でる者は、多芸に通ず」は別な色彩を帯びて見え始めます。それは「ある一面で秀でることのできるような人は、何をやっても優秀だ」という身も蓋もない話です。

(この稿、続く)
 

「失敗したって命まで寄こせとは言わない」~教職一年目ですでに辞めようかと迷っておられる先生方へ⑤(最終)

 つらいのは忙しいからではなく、努力が報われず、評価もされないからだ。
 今年が1年目の多くの若者がそれで苦しんでいる。
 しかしもともと経験がないのだからしかたないだろう。

 ならばどうする?
という話。  

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【官僚は意欲を失っている】

 今年4月のニュースに「キャリア官僚志願者14.5%減 過去最大、働き方影響」(2021.04.16 日本経済新聞)というのがありました。内容は表題にある通りですが、減った原因を長時間労働など「霞が関の勤務環境」だとするのは間違いでしょう。霞が関長時間労働など昔から有名ですし、国家公務員上級試験を受けようなどという人たちはみんな一流大学のエリートばかりですから、下調べが不十分などということはあり得ません。受検者が減ったのは、長時間労働に見合う面白さ、喜びがなくなったからです。


 かつては「官僚がこの国を動かしている」とか言われ、「官僚政治打破」は現在の与野党一致した課題でした。そのため10年前の民主党政権菅直人総理大臣は次々と特別委員会を立ち上げて官僚から政治を奪い取ろうとしましたし、安倍晋三総理は官邸が人事を握ることで官僚を従わせようとしました。

 それまでの官僚は、「このハゲー!」「バカ―!」の豊田真由子氏によれば、とにかくお国のため、国民のために働けるのがうれしかったということですが、今や仕事は国会議員の無理難題を具現化するという極めて矮小化されたものとなり、それだって能力がなければできないことですが、自己効力感とか達成感という意味では極めて意欲を削ぐものとなりました。
 もちろん政治主導は憲法にも定められたものでそれ自体は間違っていません。しかし上級試験受験者の減る理由もまたわかろうというものです。

 

 

【コロナ病棟の看護師の場合】

 今年の4月、私はここ「『追いつめられる看護戦士たち』~新型コロナ医療の最前線と銃後①」(2021.04.19)という記事を書きました。NHKスペシャル「看護師たちの限界線~密着 新型コロナ集中治療室~」を参考にした記事です。

kite-cafe.hatenablog.com

 番組は新型コロナの集中治療室で働く3年目の女性看護師が、退職を決意するまでを丁寧に負ったものでした。まだ医療者にワクチンの行き届かないころで、感染に怯えながらも使命感に押され、ホテルと病院を行き来するだけの生活に耐えてきた女性が、なぜ辞めざるを得なかったのか――、そこには三つの要因がありました。

 一つ目は仕事自体の虚しさです。
 比較的に元気な様子で入院してきた患者があっという間に重症化し、手の施しようのないままで死んでいく、しかも亡くなったあと、通常なら行うはずのケアや清拭、死化粧といったこと施すことなく、遺体袋に入れて納棺し運びだす、そうした繰り返し。
 第二に市中で噂される医療従事者への差別。その子女が保育園や幼稚園でなかば隔離状態にされているといった話。
 第三に賞与の半減。どうせホテルと病院との往復でお金の使い道もないのですが、賞与は一面で評価を金額で表したものです。経営が厳しいからだと分かっていても、労働や恐怖は数倍にも及んでいるというのに賞与が半分では心も折れようというものです。

 ひとはどんなに厳しくても、努力が実を結び、正当に評価されれば進んで働くものです。しかし努力がことごとく失敗し評価も地に落ちるとしたら、残るのは労働の苛酷さだけ、これでは続けていかれない。

 

 

【教員の場合】

 かつて私の勤務した学校の校長は、学生時代に父親からこんなふうに言われたそうです。
「先生という仕事はな、給料も安いし仕事も大変だが、なんといっても人から尊敬してもらえる。こんないい仕事はない」
 しかし現代はどうでしょう。

 尊敬しているかどうかは分かりませんが(たぶんしていない)、わざわざ文句を言うまでもないという程度には信頼してくれているようで、どこの学校へ行ってもアンケートの「先生を信頼している」は80%を越えています。ただしこれが一般論になって、保護者以外も含めた新聞社などのアンケートでは一気に40%以下にさがってしまいます。言ってみれば「ウチの子の担任はいいが、教師全般は信頼できるものではない」といったところです。
 それはそうでしょう。新聞やテレビが教師を扱うときはろくでもない話ばかりです。そこから生まれる教師に対する基本的な不信感が底流にずっと流れていて、事件があると「ウチの子」の担任にも一気に飛び火します。

 日本全国を揺るがす大きな教員不祥事があったり同じ行政府区内で事件があったりすると、教委はすぐに研修の網をかけようとしますが、私はそれにいつもウンザリしていました。
 幼稚園から高校まで、教師と呼ばれる人は全国に100万人もいるのです。その一部が不祥事を起こしたからといって全員で反省する必要もないと思うのです。それに不祥事を起こした教員の一部は、確実に多忙による心神耗弱の状態にあったのです。反省すべきは私たちではありません。
 それにも関わらず、教師は社会に対して常に背を丸めて小さくなっていなくてはならない――それが教職という尊い職業の現状です。
 それだけでも誇りをもって続けていくのが難しくなっています。

 

 

【もともと無理な話だ。ならばどうする?】

 新任の先生たちはもうさらに大きな困難を抱えています。それは採用された4月当初から、20年目~30年目といった超ベテランと同じようにクラスを担任し、同じ水準の指導を期待されているということです(*)。
 しかも一昔前なら周囲の先生たちが、さりげなく気にして、それとなく支援してくれたのが、やれ総合的な学習だの小学校英語だの、プログラミング学習だので、新人への目配りができなくなっているのです。
*採用の初日から最前線に立たなくてはならない――その大変さは、早期離職者の多い職種として販売業や他の教育関係(塾講師や語学学校講師)が挙げられることからも分かります。また、同じ新規採用でも副担任からスタートすることの多い中学校の教員の方が、1年目の時点で有利なことは間違いありません。

 基本的に今の時代、着任したばかりの新任の教師が学級担任をやること自体が無理なのです。しかしそこに改善の余地はない。文科省が教員一人を副担任に置いておくだけの予算を取れるはずがない――ならばどうする。

 

 

【教職一年目ですでに辞めようかと迷っておられる先生方へ】

 私は基本的に聞きまくるしかないと思っています。しょせん1年目です。分からなくても当然です。一番危険なのは自分が誤っていることに気づかないことですから、常に隣の教室に気を配り、変わった様子があったら訊いてみるのです。そして真似をする。
 昔、「パクって、パクって、マネをする(PPM)」という言葉が流行りかけたことがありますが、それしか道はありません。

 私が初任のころ、若い同僚に失敗を重ねて怒られてばかりの先生がいました。学年主任がぼやいて、
「オマエはすみません、すみませんって、そればっかりでちっとも良くならねえじゃねえか」
と言うと、それにも、
「すみません」
と答えるような人です。しかも学年主任のいなくなったあとで、
「担任が謝って生徒が叱られないなら、これほどいいことはないですよね」
とうそぶいています。

 さらにこの人が別の機会に言った、
「失敗したって、命まで寄こせとは言わんでしょ」
はその後10年以上に渡って、若かった私の心の支えになりました。今でも心の中でつぶやくことがあります。
 あと半年。この6カ月を乗り切れば、そこには別の世界が広がっています。

(この稿、終了)

「結局、問題は別のところにあるのではないか」~教職一年目ですでに辞めようかと迷っておられる先生方へ④

 教職に限らず、体を壊してまで続けるべき職業はない。
 しかしまだ多少の余裕がある人は、考えてみるといい。
 他の世界はどうなっているのか、
 いま感じていることがすべてだろうか、

という話。

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(写真:フォトAC)
 
 

【辞めるに辞められない】

 教職一年目ですでに辞めようかと迷っておられる先生方の多くが、今もまだ、辞めることなく苦しんでおられます。なぜさっさと辞めないのか――。その最も大きな理由が、
「担任教師が中途退職することがどれほど多くの人たちに迷惑をかけるのか、分かりすぎるほどわかっているからだ」
ということ、私は十分に理解しています。

 教員志望の極端に少なくなった昨今、自分が辞めると次がいないことは多くの先生方がご存知です。私の住む地方都市でさえ、小学校だけで常時10人前後の欠員があると聞いています。一市内に担任のいない教室が10もあるのです。
 中学校と違って小学校には副担任という制度がありませんから、新任講師が来るまで、とりあえず代理ができるのは副校長(または教頭)だけ(*1)です。普段でも勤務時間は14時間~15時間といったこの人たちが、自分の仕事をすべて夜に回して担任代行をしているのです。尋常ではありません。それでも講師の見つかる見通しでもあれば耐えられますが、まったくないとなると絶望的です(*2)。
*1 校長は制度上「教員」ではないので、代理で担任を行うことはできません。
*2 こういうとき、昔だったら校長が伝手をたどって、退職教員を無理やり現場に戻すという奥の手があったのですが、教員免許更新制のためにことごとく失効していて代理が務まりません。これが更新制廃止の主因です(けっして先生たちのためではありません

 辞めずに、何とか今年度だけはと、骨身を削って頑張ってくださっている先生方にはほんとうに頭が下がります。しかし心身を壊してまで果たさなくてはならない恩義もないはずです。そんなときはどうぞ遠慮なく学校を後にしてください。校長先生たちが何とかします。
 しかしそこまで追いつめられているわけではないという先生方は、まだまだ思案の余地があります。ここで何を判断材料として、何を考えるかは重大な問題でしょう。
 
 

【世間はどこへ行ってもしんどそう】

 まず考えておかなければならないのは、次の仕事が果たして今より良いものかどうかということです。
 実家に稼業があってよく知ったその仕事を継ぐ気があるという場合はよいでしょう。古い友人や先輩からしつこく誘ってもらっている仕事があり、そちらで能力を試してみたいというような場合もけっこうです。
 問題は辞めてすぐに就く、次の職にアテがない場合です。

 私はいつだったか立体駐車場のエレベーターの前で、後ろから近づいてきたサラリーマン風の二人の男性の会話を小耳にはさんだことがあります。どんな話をしながら近くまで来たのか分からないのですが、年長の男性が若い男性にこんなことを言っていました。
「まあとにかく、いずれにしろ、9月が過ぎる辺りまでは、土日も休めるなんて思っちゃ困るよ」
 若い男性はかしこまって「はい」とだけ答えていましたが、私は心の中で深くため息をつきました。何か恐ろしい言葉を聞いたように思ったからです。現在だったらパワーハラスメント、即時に訴えてもいいような話ですが、若者がその企業にこだわるようなら耐えて土日も休まず働くしかありません。教員だったら夏休みもあるのにね――それが私の内心の声でした。

 教員の生活は確かに苛烈です。しかしそれ以外の仕事がすべて楽なわけではありません。
 公務員で言えば財務省通産省の異常な働きぶりはつとに有名です。コロナ禍がなくても多忙だった保健所の職員はこの一年半、死ぬほど働かされてきました。児童相談所も警察も、誉められたり感謝されたりする何倍も非難されながら苛酷な労働に耐えてきましたし、市町村役場の職員の中に、心を病む人が少なくないのも事実です。

 民間は――勤める場所によってだいぶ差はありそうですが、企業案内に「ブラックです」と書いているはずもなく、入って見なければわからない面も少なくありません。あの日本最大の広告代理店「電通」でさえ過労自殺があったのです。名の知られていない中小零細企業は闇の中、ホワイトもブラックもグレーも見えてきません。
 
 

【私の場合】

 私は29歳のときに闇雲に会社を辞め、1年間の浪人生活を経て30歳で教職に就きました。先も決めずに辞めたのは前の仕事があまりにもブラックだったからです。
 労働環境もブラックでしたが、それ以上に内容がブラックでした。
 今流の言い方をすれば「学習塾の起業コンサルティングおよび支援事業」といった感じの会社でしたが、「どう考えても成功しないだろう」と思われるような場所に、平気で資金と部屋を提供させ、塾を開かせるのです。当然あとは赤字に赤字を重ねて1年ほどで潰れてしまいます。

 私は教材をつくったり講師のやりくりをしたり、場合によっては自分自身が教えに行ったりする「教務」と呼ばれる部門の社員でしたが、「営業」の汚い仕事の後始末にもしばしば駆り出され、それが嫌でたまらなかったのです。

 ですから教員になってウソをつかずに済むことが本当に幸せでした。当時の学校だってそんなに暇だったわけではなく、新任の年に学校に行かなかった日数は年末年始の6日間を含めても12日間だけ、学期中は朝6時に出勤し、夜は6時過ぎに夕食に出てそれから学校に戻って10時前後まで仕事をする、しかもクラスは荒れまくりでまったく収拾がつかない、とさんざんでした。しかしそれでも、人を騙さずに済む生活、朝から晩まで教育の話ばかりしている善人たちと一緒に働くことの喜びは、手放せなかったのです。
 それがそののち30年も教員を続ける原動力でした。
 
 

【結局、問題は別のところにあるのではないか】

 教職一年目ですでに辞めようかと迷っておられる先生方、
「もしかしたら自分が辞めたい原因は、教職のブラック体質以外にあるのではないか」
 そんなふうに考えたことはありませんか?

 人間はどれほど大変であっても、どれほど苛酷であっても、それが楽しかった面白かったり、あるいはこの上ない達成感や自己効力感があったり幸福だったりすれば、かなりのところまで頑張れるものです。
 若いころの私は連日の徹夜麻雀も読書も、足を棒にして歩く美術館巡りも、1日100kmで数日間にわたるサイクリングも、全く平気でした。面白く楽しく、達成感や成就感があったからです。

 この3月、一緒に大学を卒業して別々の道に進んだ友だちの、みんながみんな面白おかしく暮らしているわけでもないことは、あなたも知っているはずです。ほかの道だって険しいのです。しかしそれにもかかわらず辞めたいと思うのは、この仕事が楽しくない、面白くない、達成感や自己効力感が持てない、だからではないか――そんなふうに考えたことはありませんか?

(この稿、続く)
 

「あなたは楽になるが学校全体は楽にならない」~教職一年目ですでに辞めようかと迷っておられる先生方へ③

 教職は職人の世界だから、長く続ければ続けるほど楽になる。
 しかし楽になるのは個人であって学校全体ではない。
 それはこの国が子どもを丸抱えする伝統を持つからだ。
 しかし恐れるな、上に政策あれば下に対策がある。

という話。 

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【保護者の年齢を越えるととたんに楽になる】

 教職一年目ですでに辞めようかと迷っておられる先生方に「今が一番苦しい時、この先どんどん楽になりますよ」と助言するのは、基本的には正しいことですが、あまり上品ではなく、“楽になる”といっても限度があって厳しい世界であることには変わりありませんから、大声で言うことには遠慮があります。しかし言いかけたことですからもうもう少し加えておきましょう。

 教員の仕事が楽になるいくつかの契機――初年度の後半、特に1~2月(ただし受験生を抱えた学年は別)、2年目、10年ほど経って技能が身についたのち――これらについては既に書きました。ほかには、同じ学年を2年連続で担任したとき(授業や行事の中身が同じなので教材研究や事前検討が半分以下になる)、同じクラスを連続で担任したとき(児童生徒の特性、家庭の状況などに十分な知識がある)などがあります。しかし何といっても「保護者たちの年齢に肩を並べ、抜き去ったころ」の状況変化には、呆れるほどのものがあります。

 やはり年上の保護者に物申すのは大変なのです。私などは若い先生方に、
「そうは言ってもこちらは教育を学んできた教育のプロ、あちらは免許も持たずに親になった(とは言っても保護者免許などありませんが)子育て・教育のアマ。偉そうな顔をさせる必要はない」
と励ますのですが、40歳前後の社会的にバリバリの保護者を相手に、二十歳そこそこの教師が対決するのは容易ではありません。それがあるころから突然――具体的に言えば三十代後半あたりから、自然と優位に立てるようになるのです。年上の教員から教育について語られると、保護者もいったんは引いてくれるようになります。そこに生まれる余裕が様々なことを容易にします。

 大丈夫です、先生方。将来は暗くない!
(“将来は明るい”と言えないところがミソですが――)
 
 

【あなたは楽になるが学校全体は楽にならない】

 ただしこのさき、教職が8時~5時の勤務で終わるといったふうに飛躍的に楽になることはありません。それは明治以来この国が「子どもは国家が責任を持って育てる」といった一種の全体主義と、ポピュリズムを同時に持っているからです。

 明治5年(1872)に発布された学制に「邑(むら)に不学の戸なく、家に不学の人なからしめん事を期す」とあるように、「すべて子どもを差し出せ、その代わり面倒はみる」というのが、近代日本の初等教育の出発点でした。
 また、前時代の寺子屋などで儒学が教えられたという経緯もあるのかもしれませんが、西欧諸国がキリスト教という精神的支柱を持つのに対して、日本には何もないことを怖れた明治政府が、極めて道徳性の強い、全人的な教育をめざしたこともひとつの特徴と言えます。
 つまり子どもの人格の隅々まで、すべてに関与しようと計ったわけです。その分、学校の負担は最初から大きいものでした。
 また他方で、貧しかった国民は労働力としての子どもを奪われた分、子育てや教育からは解放され、自由に働く時間を得ました。それが今日まで続いているのです。
 こうして子どもを国家に預け、日中の時間を自由に使うことは親たちの既得権となっていきました。彼らはそれを絶対に手放さない――。

 例えば、教員の働き方改革が話題となり、特に中学校の一部の先生からは部活動の外注、廃止ないしは縮小が強く求められていますが、私は絶対に無理だと考えています。
 外注といっても現在日本中にある部活動のすべてにボランティアをつけることなどできるはずもないし、雇い入れといっても1日3時間の労働に対して生活費に見合うほどの賃金を払うこともできません。
 残るは廃止か縮小ですが、そんなこと親が許すはずがないのです。考えてもみてください。いまの日本で部活がなくなることを真剣に望んでいるのは教員の、しかも一部だけです。
 子どもたちは何かスポーツや芸術活動がしたい、そこにしか活躍の場のない子もたくさんいます。親たちは子どもに戻ってきてほしくない。毎日4時に学校を出て、土日は家でウロウロしている――そう考えただけで気が狂いそうになります。
 もちろん子どもが嫌いなわけではありません。学校に行かない時間を子どもが家でじっとしているわけがなく、必ず外に行ってしまう、それが心配なのです。必然的に学習塾やお稽古事に出すことを考えるのですが、その費用はだれが負担するのでしょう?
――だから部活は絶対になくならないのです。

 同じように、子どもは学校が丸抱えしようという伝統はずっと続いています。
 昔の子どもだったら当たり前にしていた自然遊びや冒険遊びを、学校が用意してやろうというのが「生活科」です。いわば保育のやり直しです。子どもの就労についても一から十まで学校がしましょうというのが「キャリア教育」。最近ではプログラミングや基礎英語も学校でやっていこうということになっています。
平和教育」も「人権教育」も「性教育」も昔はありませんでした。「総合的な学習の時間」「環境教育」「薬物乱用防止教育」「食育」「コンピュータ・リテラシー教育」「生命(いのち)の安全教育」・・・将来的には「金融教育」や「ボランティア教育」も小中学校に降りてきます。
 こうして、いわゆる「追加教育」は不断に増やされて行くのです。だから学校は楽にならない。
 
 

【上に政策あれば下に対策あり】

 しかしそれも恐れるほどのことではありません。
 学校に持ち込まれるものはすでに収容能力を超えてしまっています。新しいものが入ってくれば他のものを棄てるしかなくなります。
 かつてあれほど苦しかった「学校独自のカリキュラムづくり」や「絶対評価」を今もまじめにやっている学校はありません(本気でやれば信じられないほど大変です)。「薬物乱用防止教育」や「リテラシー教育」、「性教育」の一部はNPOなどの専門家に任されるようになり「小学校英語」もALT(外国語指導助手)に任されるようになってきています。

 未来は明るくはありませんが、そう暗くもないのです。



(この稿、続く)