カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「頑張っている人を誉めてほしい」~新型コロナ対策に信賞必罰を  

 緊急事態宣言が発出されて一週間以上たつというのに、
 一向に感染拡大が収まらない。
 政府は国民に不審の目を向け、罰則規定を設けようとしている。
 しかし待て、その前に国民を誉めなくてはならない状況があるだろう!

という話。

f:id:kite-cafe:20210118072401j:plain(写真:フォトAC)

感染症対策のために国民の自由は制限されるべきか】

 緊急事態宣言発出から一週間以上たちましたが感染拡大がなかなか収まらず、日本中がヤキモキしています。

 焦れた政府が今月12日に新型コロナウイルス対策の強化に向けた関連法改正案の概要を提示したところ、そこに「入院勧告に従わない感染者には感染症法で1年以下の懲役または100万円以下の罰金の刑事罰を設ける」とか、「緊急事態宣言下で事業者に休業を命令できるよう新型コロナ特別措置法を見直し、違反した場合に行政罰の『過料』を科すことができるようにする」とかいった内容があり、与野党およびマスコミから一斉に問題視する発言が出ました。国民の自由を縛るべきではないとか、国民の行動を罰則で抑えるべきではないといった原則論が噴出したという形です。

 ところが15日に至ってNHKを始めとする各種世論調査の結果が発表されると、
感染症対策のために)個人の自由を制限することについて、86%の人が『許される』と回答しています2021.01.15「新型コロナ対策 個人の自由制限『許される』86% NHK世論調査」など)。
といった調子で、これによってマスコミの論調も大きく変化していきました。制限は仕方ないにしても新型コロナ対策という特別な場合に限って行うもので、一般化されてはいけないといった方向です。常識的といえば常識的な結論でしょう。

【真面目な人々は怒っている】

 マスコミ関係の人々は国内の86%もの人々が自由の制限に同意するとは思っていなかったのかもしれません。国民の考え方があまりにも一方に進んでしまうことに恐れをなしたのかもしれません。しかし少し考えればこれは当たり前の結果です。

 日本国民の少なくとも86%以上くらいは、みんな真面目に新型コロナを恐れ、神経質なくらいに対策を打っているのです。通勤時間の駅前の様子を見れば一目瞭然です。ほとんどみんなマスクをしているじゃないですか。つい2か月前、GoToトラベルやGoToイートで客足が去年の6割まで戻って来たと言っていましたが、逆に言えば外食好き・旅行好きの人たちの4割は飲食・旅行に出なかったのです。
 そんなふうに真面目に対策をしてきた人々にとって、今日の状況はあまりにも不本意です。

 自分たちばかりが我慢させられて、バカな都会人は、アホな若者は、自由気ままに遊び歩いて感染を広げている、それはあまりにも不公平ではないか、そんなふうに考える人々も出て来ます。中にはもう政府はアテにならない、民間の自粛警察に活躍してもらうしかないと怒って「出でよ自粛警察!」とかいった文章を書く人まで出て来ます(私です)。
 感染拡大防止に協力しない人を個別に指導する仕組みをつくらない限り、こうした不満は必ず募り、限界を越えると私刑に走らざるを得なくなります。どんな場合もそうです。

【全体指導で心がけたいこと】

 政府の大臣・次官レベルだと、国民に対して直接できることは全体指導だけです。会見などを開いて国民に呼びかけるのが精いっぱいといえます。ところがこの“呼びかけ”、大臣たちが思っているほど簡単なことではありません。毎日、対象に呼びかけ、毎日、対象の行動変容を計っている学校の教師に訊いてみればすぐに分かります。

 例えば学級にいじめ問題があり、“いかにいじめが悪いことか”を担任が力説したとしましょう。
 その説教が「3年B組金八先生」のように優れたものなら、生徒は反省してきっといじめをなくそうと努力するだろう――そう考えるのは素人です。
 そもそも先生の一言でさっと態度を改めるような素直な子どもが育っているクラスではいじめなど起きないのが普通ですが、もし実際に起こってそれを厳しく指導したとき、起こるのは、いじめっ子は頑なになり、他の子たちは震え上がるという現象です。
 いじめっ子にしてみればすぐに自分のことだと分かりますし、みんなの前で非難されて面白いはずがありません。多くは耳をふさぎ、ふさがないまでも信頼関係のない人の言葉はこころに浸みて行きません。

 感染拡大防止に寄せて言えば、「いま徹底的な外出自粛をしないと大変なことになる」と言われると、86%以上の人は震え上がって対策を頑張ろうと思います。しかし残りの14%くらいはそもそも大臣の会見など聞いていません。彼らはニュースの時間にスマホYoutubeを見たりゲームをしたり、あるいは居酒屋やカラオケで飲んだり歌ったりするのに忙しいのです。
 もちろん去年の4月のように訳の分からないウイルスに国民全員が震え上がったときは、情報は彼らの耳にも自然と入ってきました。しかしあれから1年近く、私たちはコロナ事態にずいぶん慣れてきています。

 教室のいじめ問題がいつまでも解決せず担任が叫び続けていると、次に起こる現象は良い子たちがイライラし始め、一部が言うことをきかなくなるということです。いじめっ子たちは相変わらず話を聞いていませんから何の行動変容も起こりません。
 そもそもいじめをなくすのは担任の仕事なのに、それもしないで私たちばかりが責められる――もうウンザリだ。どうせ頑張っても「悪い」「悪い」と言われるなら、いっそ私たちもいじめてやると、良い子の一部は考え始めます。そして非協力になる。

 感染拡大防止で言えば、感染対策や自粛にものすごく努力してきた人たちが「連休中の人々の気の緩みのためにさらなる感染拡大を招いた」と言われるときの気持ち、そしてその後の自粛要請に不熱心になるのがそれです。

感染症対策に信賞必罰を】

 新型コロナウイルス感染対策に罰則を持ち込むことに関して、私は本当を言うと気が進みません。
 ギンギンの民族主義者で日本人こそ世界で最高の民族のひとつだと信じているので、罰則抜き、個人情報保護、人権最優先でやっていけると思いたいのです。
 しかしどうやっても感染防止に努力できない人もいますよね?

 私の中のもうひとつの思考原理、「人間は弱いものだ」も、感染対策を十分に果たせない人間の存在を示唆します。

 だったら仕方ありません。医師の勧めにも関わらずPCR検査を受けない人、検査の結果陽性であっても出歩く人、休業指示が出ても従わないお店などには、それなりの罰を受けてもらうしかありません。
 そして頑張っている人々やお店については、それなりの評価を与えなくてはなりません。

 例えば先週一週間の報道をみると「人出は十分に減っていない」とか「感染拡大は止まっていない」とか後ろ向きのものばかりでした。昨日も「首都圏一都三県で月曜日としては過去最高の新規感染者」とか「4月の緊急事態宣言に比べると人出が3倍」とかロクなニュースがありません。しかし細かく見ると悪いことばかりではないでしょう。

 東京都の新規感染者は970人(12日火曜日)~2001人(16日金曜日)と相変わらずたいへんな数でしたが、曜日によって条件は異なります。そこで前の週の同じ曜日の新規感染者と比べると次のようになります。f:id:kite-cafe:20210118072953j:plain なんと12日から16日まで、5日連続で下がっているのです。昨日は一週間前の日曜日より98人多いという結果が出ていますが、それは三連休の中日だった10日の新規感染者が少なかったことに原因がありそうです。おそらく3連休の検査数が極端に少なかったのでしょう。神奈川県・埼玉県・千葉県の3県も「日曜日としては過去最高」だそうですが、他の曜日と比べれば大したことはありません。

 目を関東の1都3県から外に向ければ、大阪府も愛知県も6日連続マイナス。昨年の4月に緊急事態宣言のでた13都道府県のうち16日にマイナスになったのが八つあって昨日も三つあります。日本全体もマイナスでした。

 また、直近一週間の新規感染者の数(10万人あたり)をグラフにすると次のようになります。f:id:kite-cafe:20210118073015j:plain 右で急上昇してから急降下して水色の線が東京都ですが、ホラ、がんばっているじゃないですか。これを誉めずして何を誉めたらよいのでしょう。

 学校でも国家でも、良い子たちのことはついつい忘れがちですが、悪い子同様にこちらも大切な存在なのです。
 この子たちを誉めて踏ん張らせなければ、集団の基礎が崩れて行ってしまいます。

「ボヘミアンK氏の生き方」~年賀状が呼び覚ます記憶と人間模様④

 電話を介して三十数年ぶりにKさんと話しながら、
 遠い遠い昔のことを思い出す。
 そのうち私は、なぜあれほどKさんと会いたかったのか、
 Kさんに“その後の私”を知ってもらいたかったのか、
 ようやく理解することになる。
 遠く及ばないにしても、私もKさんのように生きたかったからだ、

という話。

f:id:kite-cafe:20210115073331j:plainミュシャ「スラブ叙事詩」より『ルヤナ島のスヴァントヴィト祭』《部分》)

 ネット上で見つけた昔の先輩の住所と電話番号。一度、電話したところ留守で、すぐにかけ直せばよかったものを数カ月おいたら電話自体がなくなってしまっていた。そこで年賀状に自分の電話番号を記して出したところ、1日も2日にも連絡がなく、もう亡くなったのかもしれないと諦めかけていたら、4日になって本人から電話があった、そういうお話をしています。


【年賀はがきが遅れた事情】

 1日か2日には電話連絡か宛先不明の年賀状が戻ってくるに違いないと思っていたのに、4日になって初めて連絡があったことには、次のような事情がありました。

 Kさんは30年ほど前に結婚して(そのこと自体は噂で知っていた)、その際、実家を出て、職場に近い別の住宅に住み始めていたのです。実家には独身の弟さんとお母さんが二人で住むことになりました。

 私がネット検索で得た番号に電話をかけたのが3年前の10月、その際に電話口に出たのが弟さんで、その弟さんは電話があったことをKさんに伝えることなく、翌月、急死してしまったのです。残された当時97歳のお母さんはKさんが引き取ることになり、実家は電話を切って閉じられることになります。私が電話をかけて「おかけになった電話番号は現在使われておりません~」に衝撃を受けたのはその時期です。

 そのあと1年近く、家は放置されときどきKさんが管理のために行ったついでに郵便物を回収していたようです。しかしそれも面倒で、昨年、正式に住所変更の手続きを取ったのです。したがって私の賀状はいったん実家近くの郵便局に運ばれ、そこから転送手続きをへてようやく4日にKさんの手元に届いたのです。

 危ういところでした。
 これが一年遅れていたら年賀状も届きません。運命はちゃんと働いています。
 もらった電話でかれこれ小一時間も話し、最後はおそらく相手側のスマホの電池切れで終わりましたが、たくさんの思い出話ができました。

 

ボヘミアンK氏の生き方】

 Kさんというのはたいへん魅力的で不思議な人です。
 田舎育ちの私でも聞いたことのある有名都立高校を卒業して、これまた誰もが知っている有名国立大学を出ています。きちんと聞いたわけではないのですが司法試験のために正式な就職もせず、そのまま塾産業に居ついてしまったようです。
 当時、学習塾の講師のアルバイトは時給がべらぼうに良くて拘束時間も短いので、司法浪人、小説家志望、俳優志望といった人々がウジャウジャいたのです。 ただし実働が1日わずか3~4時間ですからそれだけで生活は成り立たず、時がたつにつれてその世界から足を洗うか会社そのものに飲み込まれるか、道は二つにひとつでした。
 
 Kさんが司法浪人として真面目に取り組んだ期間がどれくらいだったか私は知りません。しかしそんなに長くなかったように思います。私が知っているKさんは無類の酒好きで、アルコール抜きで長時間の勉強ができるような人ではなかったからです。

 酒臭い息をしながら出社することは日常茶飯事でした。着ているものも持ち物もいつも同じで、噂によると背広のまま寝てそのまま出社するのだそうです。
 その噂は職員旅行で箱根に行った際、他のメンバーが全員普段着なのにKさんだけが背広姿で参加したことで確かめられます。このときは早朝の出発だったので新宿集合に間に合わず、一本遅い特急での現地合流になりました。
 詳細は覚えていないのですが、箱根のどこかで会社として名刺を残していく必要ができたのですが、持っていたのはKさんだけ。いつもの姿で来るので自然とそうなるのです。
 稀に上着だけハンガーにかけることもあるらしいのですが、慣れないことをすると失敗もあるもので、出社してどうも背中が痛いというので見たら肩にハンガーが入ったままだったという伝説まであります。

 バレンタインデーに同僚からリカーチョコ(何種類ものアルコールを一つひとつ酒瓶型のチョコレートに入れたもの)を贈られ、しばらくすると内線で、
「あのう、空瓶はどうしたらいいのでしょうか?」
と訊ねてくるような人です。遅刻も失敗も少なくなく、ふた月に一遍くらいは午後出社になったりします。

 あるとき腹に据えかねた社長が懇々と説教したらしいのですが、社長室から戻って来たKさんは険しい表情で、
「ねえTさん(私のこと)、いま社長からずいぶんと叱られ、仕事に差し支えるなら酒を辞めろと言われたのですけど、私、飲むために働いているのであって、仕事に差し支えるから辞めるってのは本末転倒だと思うのですけど、いかがでしょう」
 いかがでしょうと訊かれても私は年齢も地位も下ですので何か言える立場ではありません。しかし本末転倒という表現はこんなふうにも使えるんだと感心はしました。

 極めつけは同僚数人と高尾山に行った時のことです。私は参加しなかったのですが後から聞くといつもの通りの背広姿で、いつも通り自動販売機があるたびに缶ビールを買っては飲み、飲んでは買いながら山歩きをしていたところ、崖から滑り落ちてもうダメだと思ったところで鉄条網に引っ掛かって止まったのだそうです。鉄条網ですよ。
 私の覚えているのは翌日、フランケンシュタインの怪物みたいになって出社したKさんの姿だけです。それだけたくさんの刺し傷を作りながら、当日は酔っているので痛みをまったく感じないらしく、いやがる運転手を説得して乗せたタクシーの中でも大騒ぎだったようです。

「お酒さえ飲まなければいい人なのに」
が定評で、しかし酒だけが欠点だと思い込まされて実は別の欠点だらけということもありますから、ほんとうにそうなのか、しばらく観察していたことがあります。
 でも、やっぱり良い人でした。

 

【K氏に魅かれる理由】

 三十数年ぶりの思い出話に花を咲かせながら、突然私は、なぜKさんのことがあれほど気になったのか、改めて理解することができました。連絡のつかなくなった恩人はいくらでもいますが、Kさんには人生の本質的な部分で教えられたことがあるのです。

 それは電話口でKさんと別れたたあとの私の人生について、簡単に紹介していたときのことです。
「いやあ、それはきちんとした人生を送られましたな。私なんか本当にいい加減なまま過ごしてきてしまいましたから――」
 それで思い出したのです。
 ああそうだ、この人はほんとうに「いい加減」というか、「良い加減」の人です。過去を語らず未来を言わず、その日その日を十分に生きて、仕事のために酒を辞めるのは本末転倒だと考えるような人です。

 十代の後半から二十代前中盤にかけて、私はどうしようもなく神経質な青年でした。自分を天才だと思う高慢さと、社会はそんな私を一捻りできるくらいに強大で恐ろしいものだといった不安で、オロオロしながら過ごしていたのです。そんな私に人生なんて思いつめて歩むものではないと、身をもって教えてくれたのかKさんなのです。

 私も30歳を過ぎてからはかなり柔軟に生きられるようになりましたが結局「きちんとした人生を送られましたな」と評されるレベルのものでした。性分ですから仕方ないのです。とてもではありませんがKさんのように生きられるものではありません。

「お酒はその後どうですか」
と訊くと、
「いやはや糖尿病になってしまいましてね。だいぶ飲まなくなりましたがそれでも誘惑に負けてビール一本程度・・・」
 確か30代前半では極めて珍しい「痛風」になって、医者にビールを止められたのはKさんだったはずですが、懲りない人です。
 しかしそんなところがいいのです。
 
(この稿、終了) 
 

「ボヘミアンK氏を探して」~年賀状が呼び覚ます記憶と人間模様③

 ネット検索で昔の知人の住所と電話番号を知った。
 さっそく電話し、不在だったために改めてかけると言ったきり、
 躊躇していたらいくらもしないうちに相手の電話が外されてしまった。
 つまらないためらいのために、好機を逸することなりそうになった。

という話。

f:id:kite-cafe:20210114065027j:plainミュシャ「スラブ叙事詩」より『故郷のスラヴ人』《部分》)

【ネット上に先輩の名前を発見した】

  私のような歳になると人間関係は狭まる一方で、したがって年賀状も減ることはあっても増えることはありません。しかし今年は1枚だけ、例年にはない賀状を出しました。
 まだ教員になる前、学習塾の管理会社に勤めていた時の先輩というか上司のKさんです。年賀状はおそらく初めて、連絡すること自体が三十数年ぶりです。

 なぜそういうことになったかというと、話は3年前、何となくKさんの名前でネット検索をしていたところ、Google先生の5~6ページくらい進んだところにKさんの住所と電話番号を見つけたのです。
 私は無類の検索好きですから、それまでやったことがないはずはないのですが、そんな先まで見ることはなかったということでしょう。

 ありふれた名前ではないものの、それでもと思って今度はGoogleEarthに住所を打ち込んで、ストリートビュー(実際にその場に行ったように360度の画像が見られる)に入ると、確かに一度だけ行ったことのあるKさんのご自宅でした。

 三十数年前、Kさんは父親の建てた家を3000万円で売ってさらに1500万円の借金を重ね、その家を購入したのです。私は引っ越しの手伝いがてらお邪魔して、一晩泊めてもらった記憶があります。
 ただ、その家は私の田舎の実家の三分の一ほどの土地に半分ほどの床面積で建っていて、一台分の駐車場を除けば箱庭程度の庭があるだけでした。しかも主要な鉄道駅からバスで30分もかかる場所にあり、なによりも道一本を隔てて高速道路が走っているのが苦になりました。二階の窓から目の前を走る車の運転手が見えるのです。鉄道なら夜中は止まりますが、高速道は24時間です。うるささはハンパではありません。
 Kさんは1500万円の借金で済みましたが私だと全額自前です。それだけ背負ってもこの程度の家かと思ったら、それが東京を離れる理由のひとつになりました。
(当時は世間知らずでしたから4500万円全額を借りるつもりでいましたが、いま思えばそんな多額の借金ができるはずもなく、高速道のすぐ脇どころか高速道路の上にしか家を建てるところはなかったのかもしれません――冗談です)

【つまらないためらいが、のちのち後悔を生むことになった】

 とっくに失ってしまった番号が改めて手に入ったところで、私は恐る恐る電話をかけてみることにしました。3年前の10月のことです。恐る恐るというのはKさんがもう死んでいるかもしれないと思ったからです。

 後で詳しく書きますが、私より5歳ほど年上のKさんはとんでもない大酒のみで、家系的にも短命とか、常々「私は60歳までは生きていないだろう」と予言していたからです。しかし住所や電話番号を知ってしまった以上、亡くなっていたなら亡くなっていたで確認しないわけにはいきません。私は運命論者ですから天の声を無視することができないのです。

 で、電話をかけるとほどなく年配の男性が出て来て、しかしKさんのようには思えず、
「私は三十数年前に◯◯社でKさんのお世話になったTと申しますが、Kさんはおられるでしょうか」
と訊ねたのです。すると先方は、
「ああ、Kは今、散歩に出ています」
 それで私はどっと疲れてしまいました。「Kは死にました」という答えに対する言葉を山ほど考えていたので、思いのほか緊張していたのかもしれません。そこで、
「では後ほど改めて連絡させていただきます」
と返して――実はそれきり電話をしなかったのです。
 安心したというよりも、あまりにも緊張していたのでかえって恥ずかしくなり、何となく照れてすぐにはかけられなかったのです。

 次にかけるのは翌年、つまり一昨年の3月まで下ってしまいます。今度は落ち着いてかけられました。ところが電話の向こうの声は若い女性で、
「おかけになった電話番号は、現在使われておりません。番号をお確かめのうえ、おかけ直しください」
 携帯の住所録からかけているのですから間違えるはずがありません。しかし改めて数カ月前に検索したのと同じやり方で電話番号を調べてかけ直しても同じ。
 わずか4~5カ月の間に異変があったに違いありません。
 
 Kさんのお父さんはずいぶん前に亡くなっているはずですから、あのとき電話口に出たのはたまたま訪ねて来ていた親戚か何かで、Kさんはこのわずかな期間に亡くなってしまったのかもしれない、散歩というのもリハビリだったのかもしれない、そんなふうに思いました。

【年賀状を書くことを思いつく】

 その後、東京に住む娘のところを訊ねるたびにKさんの家に行ってみようという気持ちもあったのですが、先ほど書いた通り実に行きにくい場所にある家で、わざわざ切ない思いをするために行くこともないといった気持ちもあって、ついに訊ねることなく2年近くが過ぎてしまいました。
 ところが先月、年賀状を書きながら、ふと、分かっている住所に年賀状を出してみたらどうかという考えが浮かびました。それまで手紙を書くというアイデアがなかったわけではありませんが生存確認のための一筆というのも気が重く、実際に行うに至っていなかったのです。しかし年賀状だったら自然です。

 こちらの電話番号を書いておけば1月1日か2日には連絡が来るでしょう。すでにだれも住んでいなければ私の年賀状自体が返送されてくるはずです。それで諦めがつきます。

 ところが2日になっても3日になっても反応はなく、
「ああ、やはり亡くなっていて、親族が丁寧なお手紙でも書いているのだろう」と思い始めた4日になって、なんとKさん本人からの電話がきたのです。

(この稿、続く)

「美しい文字の美しい娘」~年賀状が呼び覚ます記憶と人間模様②

 18年前の教え子から、結婚の報告を兼ねた年賀状をもらった。
 18年間、欠かさず寄こしてくれた子だ。
 私はこの子に格別の思いがある。
 とにかく素晴らしく、時には困惑させられた子だったからだ。

という話。f:id:kite-cafe:20210113071212j:plain(写真:フォトAC)

【結婚の報告】

 18年前に担任した教え子から、結婚の報告を兼ねた年賀状が来ました。和装で和傘を指した新郎新婦が、中央で微笑んでいます。

「ご無沙汰しております。12月に入籍しました」
 新型コロナのせいで式や披露宴ができなかったのでしょう。夫婦の名前や新居の住所の下には、さらにこんな添え書きがあります。
『和装をしながら、先生に「〇〇さん(この子の本名)は和装が似合うだろうなあ」とおっしゃっていたのを思い出しました』

 女の子の容姿について語ったわけですから今ならさしずめセクハラ扱いでしょうが、昭和顔というよりはさらに進んで平安時代にいそうな、絵に描けば引き目・鉤鼻・おちょぼ口、頬のふっくらとした美人だったのでそんなふうに言ったのでしょう。記憶にはないのですが、いかにも私の言いそうなことです。

 彼女の担任は小学校4年生の時の一年間だけで、その後都会の方に転校してしまったので以後は言葉を交わすことはなかったのですが、年賀状だけはこの18年間、欠かさず寄こしてくれました。
 写真で見る限り、想像していたよりもさらに美人になっていました(これもセクハラかな?)。ただしこの子に関する思い出の中心はそこにはありません。

【なんという子だ】

 それは小学校4年生の、この子については最初で最後の私の家庭訪問のときのことです。

 市営アパートの2階か3階が自宅でしたが、車で行くと階段下にすくっと立っていて、私を見かけると両手を膝に当てて深々と頭を下げます。それはあまりにも子どもらしくない、大人びた仕草でした。

 駐車場に車を置いてその棟に行くと軽く会釈をして案内し、私を先に玄関を入れると後ろ手にドアを閉めます。私が靴を脱いで上がるのを待って自分も脱ぐのですが、膝を折って脱いだ靴をそろえ、上がり框に寄せてそれからふと気づいたかのように私の靴もそろえ直して引き寄せます。
 私だってそれほどいい加減に脱いだわけではないのですが、ひとの靴を整える姿があまりにも自然で、ほんとうに驚きました。そんなことのできる小学校4年生が現代に生きているのか、といった驚きです。
 そのあと私と母親の話にどんなふうに加わっていたのか記憶はないのですが、なんとなく伏し目がちで、小さく正座していたような気がします。
 それが最初で、最も強い印象です。

【美しい文字への執着】

 1年を通して、大人しい良い子でした・・・というかあまりにも目立たず、良い子であったかどうかもはっきりしません。けれどそれでいて記憶に残らない子だったのかというと、そうではないのです。何しろ毎日感心させられ、毎日苦しめられていたから忘れようがないのです。

 何に感心していたのかというと、毎朝提出される漢字練習帳の紙面があまりにも汚かったからです。鉛筆で何度も書いては消し、書いては消すのを繰り返すので紙がいつもくすんで灰色がかっているのです。何のために?
 実はこの子、漢字を覚えるために書くのと同時に、美しい字が書けることも練習していたのです。だから書いた字が気に入らないとすぐに消してしまい、それを繰り返すためにノート全体が汚れてしまいます。
 1ページ400マスを埋めてくるのが宿題でしたが、この子が書いた漢字はおそらく1000字でも足りないでしょう。時間は、もしかしたら普通の子の4~5倍もかかっていたのかもしれません。
 そしてこの「美しい字」へのこだわりが、毎日、私を苦しめたのです。

 考えてもみてください。
 漢字練習帳とともに出される日記の文字が、赤ペンで添え書きする私の字よりもはるかに美しいのです。私は一言書くたびに何か美しい作品を汚しているみたいで、本当にかないませんでした。
 今年もらった年賀状の文字も、それは美しいものです。

【有り難いこと】

 転校によって私のもとを離れたその子は、翌年父親を病気で失い、母親とともに苦労を重ねたようですがやがて地元(といっても都会)の国立大学に進み、数年前、教員になりました。
 教師としての様子は聞いていませんし18年前を思い返しても教員としての才能があったかどうかといった細かな点までは蘇ってきません。

 ただしあれほど誠実な子ですから、時間をかければ大抵の困難は乗り越えられているはずです。教職は一種の職人芸の世界ですから誠実に努力すれば確実に腕を磨けるのです。着実に歩みを進める人間には向いている世界です。

 年賀状という細い糸のおかげで、一人の子どもが大人になっていく過程を見続けることができました。
 通常の意味でも、語の本来の意味でも、本当に「有り難い」ことでした。

「年賀状じまいの話」~年賀状が呼び覚ます記憶と人間模様①

 今年も「年賀状じまい」を書き添えたハガキが何枚か届いた。
 お歳や私との関係を考えると無理もないと思う。
 しかし「年賀状じまい」は、“もう出さない”というあいさつであっても、
 受け取り拒否ではないはずだ。
 やはりあの人たちには見ていてもらいたい、だから来年も書くだろう、
 そんなふうに思った

という話。

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【年賀状じまい】

 正月も10日を過ぎると年賀状の返信もなくなりますから、毎年成人の日前後が年賀状整理の日ということになります。

 ここ二十年あまりははがき作成ソフトで住所録を管理していますので受信した年賀状については丸印をつけ、ついでに(普通はそんなことはしないと思うのですが)来年の発信欄にも丸をつけておきます。もらった年賀状の記憶がはっきりしているうちに来年出す相手を決めておくと、年末に迷う必要がなくて便利なのです。
 この先も長く関係を保ちたいと思う相手には自信をもって丸を付け、今年限りだろうなと考える相手の欄は「―」のままにしておく。なんだか互いにだらだらと続けているようなので、とりあえず年末には書かずに様子を見ようという相手の場合も「―」のままです。絶対に出さないという意味で「×」をつけることはありません。
 年末が近づいて改めて住所録を見ると、「あれ? どうしてこの人に出す気になったのだ?」と思う場合もありますが、そこには何か思い出せない特別な理由があるはずで、だからそのまま出すことにします。

 年賀状との取り組みは、おそらく多くのひとがそうだと思うのですが結婚を機にきちんと書くようになりましたから、かれこれ三十数年、毎年同じ作業を続けています。ところがここ数年、今までになかったことが起こっています。それは年賀状じまいです。
 今年は3通ありました。

 

【それぞれの場合】

 亡くなった父の妹に当たる叔母からは、こんな添え書きのある賀状が届きました。
「私も今年で八十九歳になりますので、本年をもちまして、失礼させていただくことになりました。今後も変わらず、よろしくお願いします」

 この人は私が生れた六十数年前にわずか二間しかない市営住宅に一緒に暮らしていた、母にとっては小姑に当たる人です(姑も一緒にいた)。若いころは大変な美人でスタイルも良く、田舎ではありがちですが、そのままお淑やかだったりすると周囲から浮いてしまうので、かなり明け透けでがらっぱちな性格に育った人です。
 覚えていないのですがとてもかわいがってもらったようで私その叔母が大好きで、4歳か5歳のころ、結婚して横浜に行ってしまったときには泣いて新郎に襲いかかったといいます。
 そんな叔母から「年賀状はもういいよ」と言われるのはかなり引っ掛かりますが、89歳にもなれば何かと面倒なのでしょう。93歳の母を見ていれば分かります。

 あとの2通は職場の先輩。
 一人は二回目に赴任した中学校の教頭先生、もうお一方は初めて小学校の教員になったときにお世話になった学年主任の先生です。

 学年主任の方は添え書きのない印字だけの賀状で、
「私、高齢となり、今年をもって年賀のご挨拶を卒業させていただきたく存じます」
 教頭先生の方は普通の賀状の添え書きとして、
「身辺の整理のため、本年をもって賀状でのご挨拶を失礼させていただきたく、お願いいたします」
とありました。

 前者については、
「ああ、賀状を通じた関係の全部を切ってしまうのか」
と一瞬、天を仰ぐような気持ちになります。詠嘆とも感嘆とも言える、何とも説明のできない気持ちです。
 しかし後者については解釈が必要でしょう。

 最後のお別れくらい自筆で書こうとお考えになったのか、引き続き出したい相手には出すものの私はその人選に漏れたということなのか。けれどあとの方だったとしても悲観的になる必要もありません。なにしろお別れしてから30年以上も経つというのに、その間に顔を合わせたのは共に在籍した学校の校長先生の葬儀のときだけ、私の方が不躾だったわけですから。


【さてどうする】

 ふと思いついたのですが、「年賀状じまい」という言葉、いつごろから聞かれるようになったのでしょう?
 私の記憶だとここ数年に限ったことで、実際にもらったのは3年前が初めてです。それ以前はなかったように思うのです。

 年賀状というのは続くべき相手とはいつまでも続き、そうでない人とは自然消滅する、それが普通だと思うのです。この人とはもうそろそろだなと思って返事を出さずにいると、相手もそれと察して寄こさなくなる、それにもかかわらず出し続ける人にはそれなりの理由がある、だからただ受け取っていればいい、それが年賀状の妙だったような気がするのです。

 実際、私にも返事をもらえないまま何年も出し続けている恩人がいます。それは小学校時代の恩師だったり、特にお世話になった先輩、校長先生、教頭先生、同僚だったり――そうした人たちには私が元気で気持ちよく生きていることを知っていてもらいたいのです。言葉のやり取りが必要なわけではなく、私が先方のことを覚えていて、いつも心にとめていると知ってほしいのです。返事がもらえるかどうかは二の次です。

 そう考えたら、今年「年賀状じまい」をもらった人たちへの対処の仕方も見えてきました。
 来年は、その方たちにはいつにも増して丁寧な近況報告を加えた年賀状を出しましょう。その上で、上に書いた通り、私はいつまでも見ていてもらいたいのです、返事はいりませんから黙って手元に置いてやってくださいと、そんなふうに添え書きをすればいいのです。

「出でよ自粛警察!と叫びたくなる朝」~いいかげんにしてくれよ! トウキョウ!

 東京都の新型コロナ感染者がついに1日2000人超。
 私たちがこんなに耐えているというのにどういうことだ!
 自業が自得で終わらないのがウイルス感染の世界。
 東京はいったい何をしているのだ。私はもう我慢の限界を越えた。

という話。

f:id:kite-cafe:20210108071615j:plain(写真:フォトAC)

【東京都の感染者、1日2000人を越える】

 東京都の新型コロナ新規感染者が昨日はついに2000人を越えて2477人とか。感染者数の新記録だった前日よりも850人以上も増えてしまいました。

 発症の2週間前が感染したときと考えると12月24日のクリスマスイブ。勝負の3週間が終わってさらに一週間が経ち、「さあ、うつるかうつらないか、一発やってみよう!」と新たな勝負に出て負けた人が大勢いたようです。

 何しろ政権与党の二階幹事長が忘年会を主宰し、総理大臣がホイホイ参加してしまうような国です。
 つい最近も自民党の森山国会対策委員長が、
 緊急事態宣言の対象となる1都3県での国会議員の会食について、「国会議員が全く人と会わないというのは無理がある」としたうえで、時間は午後8時まで、参加人数は4人以内とすることが望ましいという考えを示した(2021.01.06 NHK 
ということですが、そりゃあ全く人に会わないのは無理にしても、なぜ会食でなくてはならないのか、なぜ飲みながらでなければ政治ができないのか、そこに全く説明がないどころか、そもそも理解できる内容ではありません。

 もちろん人と会わなければ成り立たない職業はいくらでもありますし、会食が必須な場合もあります。
 学校なんてその典型で、狭い範囲に40人もの子どもが密集し、しかも給食の時間は全員がマスクを外している――。しかしその時間は全員が前を向いて一言もしゃべらず、黙々と食べているのです。そんな生活を8カ月も続けてきました。
 小中学生でもできるその程度の節度が、なぜ「四十、五十は鼻垂れ小僧」と言われる政界でできないのか。そもそもアナタたちは高齢というだけで重症化の危険を追っている人たちでしょ?

 国会議員も会食が必須なら全員同じ方向を向いて黙々と食べ、食べ終わったところでマスクをし直して距離をとって話をすればいいのです。飲みながら、食いながら、しゃべりながらなんて、絶対だめに決まっているじゃないですか!

 

【人々の苦労や亡くなった方たちのことが、まったく気にならない人たち】

 上が上なら下も下。
 ここにきてタレントの渡辺直美さんが男芸人を招いて忘年会をやったとか、デビ夫人が「コロナの心配は一切関係ない方たちばっかり」90名を集めてカウントダウン・パーティーを「非難も覚悟で」開いたとか――。
 それらはおそらく氷山の一角で、ニュースにならないものも含めたらどれほど多くの人たちが忘年会やらカウントダウン・パーティーで浮かれていたのか分からりません。
 おバカな主催者は別として、恐ろしいのは参加した人々が誰ひとり諫めることなく、それどころかひとりもコロナも世間も気にしていなかった点です。コロナに怯えず情報が漏れた場合の社会の非難にも怯えず――市井の、無名の私ですら人々の目に怯えて暮らしているのに、やはりこれほどの胆力がなければ有名人にはなれないのかもしれません。

 さらに下に進んで、仲間どうしで元気よく忘年会を開いた学生、会社員、公務員ら普通の人々。信じがたい思い切りで組織として新年会を開催し続けている官公庁や企業の人々。その凄まじいアルコールへの渇望、狂騒への熱意を、私は茫然と見ています。

 この人たちにとって、志村けん岡江久美子羽田雄一郎議員の死は一片の価値もないのです。
 同じ時間、地方のホテルでひとり過ごす青年が、実は昼の間、実家の庭先で窓越しに両親に年末の挨拶をしてきた誠実な人だということも、どうでもいいのでしょう。
 クリスマスも年末年始もなく恐怖と過労に苦しみながら病院に詰め、それでも職場を放棄せずに職務に忠実であろうとする医療関係者の尊さも分からない。

 そうだよね。この人たちは毎日毎晩、飲んだり遊んだりするのに忙しくてニュースなんか見たことがないんだものね。


【屁理屈:オレたちが飲まなければ店が潰れる】

 え? 自分たちが飲み食いしなければ飲食業は潰れるって? 経済が回って行かないって?
 それはないでしょ。そういうのを屁理屈というのです。

 馴染の店が大切なら行って静かに飲み、静かに食事をして帰ればいいのです。何が何でも守らなくてはならない大切な店なら、普通の清酒一本を10万円で買い取り、テイクアウトの折り詰めに5万円払って帰ればいいのです。それもせずに安い代金でどんちゃん騒ぎをして、呑兵衛全体として感染を広げて非常事態宣言に追い込んで、店を追いつめる――それが今、一都三県で起こっていることです。このままだと店はつぶれてしまいます。

 それが分かっていながらやっているのに、変な小理屈を言うものではありません。飲食業の従事者はそれこそ血の涙を流すほどに苦労して感染対策をしているというのです。それを台無しにしているのはアンタたちじゃないか。

 田舎では私のような臆病者が、市内に感染者の一人もいない時期にもマスクをつけて畑仕事をしたりしているのです。もう年寄りですので人と会ったり話したりするのが重要なボケ防止なのに、一年近くも娘や息子・孫たち、そしして仲間とも会えていません。
 少し上の世代の中には、福祉施設で軟禁状態になっている人もいます。もちろん施設が悪いのではありません。コロナ事態が収まらないことが悪いのです。


【出でよ、自粛警察】

 おそらく日本人の99・9%くらいは誠実に義務を果たしているのです。けれど残りの0.1%、人数にして12万6000人くらい(東京都市圏で3万8000人くらい)が悪いのです。彼らが飲んで食べ、陽気に歌い踊って新型コロナに感染し、家や職場に持ち帰って無辜の家族や同僚に広げます――。

 もう私も限界です。
 感染者を差別してはいけないと言いますが、自らの快楽のために進んで危険に身を投じ、感染した人まで守る必要はありません。

 出でよ、自粛警察!
 繁華街でマスクもつけず、大声で騒いで唾を飛ばしている輩をネットに晒せ!
 政治家・企業家・芸能人、その他すべての有名人と私のような市井人まで含め、この日本社会を守ろうとしない者を倒せ!

言ってはいけないことなので削除しようと思ったのですがDeleteキーがうまく動かず消せません。そこで上のように処理しました)

 しかしなにか、叫んだらスッキリしたな。