カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「もう何でもいいからやってくれ!」~「9月入学」の利点と問題点④

 部活は3年生を排除、文化祭は縮小、夏休みの教育活動もなくなって、
 「9月入学」はまったく異なる日本の学校教育を生み出すだろう。
 政財官はこれにもろ手を挙げて賛成し、国民も多くが賛成派だ。
 もう私に言うべきことはない。勝手にやってくれ。

というお話。

f:id:kite-cafe:20200514070635j:plain(「ススキと海 1」フォトACより)

 

【文化祭は規模を縮小して行う】

 文化祭は文化系部活動にとって最大の行事であり、中学校においては学習発表の場でもあります。したがって新年度が始まってからある程度の準備期間が必要であるとともに、3年生には受験が迫っていますから背後も切られています。
 私の住む地域では高校は7月、中学校の場合は10月が一般的ですので、それに即して5カ月後ろに送ってみると、高校は12月、中学は3月の文化祭ということになります。

 高校の場合は日の一番短い時期で、昨日お話しした運動部と同じになってしまいます。しかし9月入学だと、9月一カ月くらいは新入生が部活を決めているだけで終わってしまいますし、大学入学共通テスト(昨年度までのセンター試験)が6月におこなわれることを考えると、先送りしても1月中には終えなくてはなりません。どうせなら学期をまたがずに文化部3年生の部活動は1学期(9月~12月)まで、2学期以降は受験準備というのが分かりやすいでしょう――ということで、高校の文化祭は12月の一択です。

 もっとも運動部と違ってそれまでの作品の蓄積や家に持ち帰ってやれる仕事もありますから、それほど苦しくはないでしょう。演劇部や合唱部も直前に十分な練習ができないことを見越して早めに活動をしておけばいいのです。

 ただし制約を受けるものもあります。
 模擬店はすべて屋内になりますし、屋外ステージというのも考えられませんから体育館のステージは奪い合い、近隣の施設を使った分散開催というのも考えなくてはなりません。
 今でも地方に行くと文化祭の最終行事が昔懐かしいファイヤー・ストームとなっている学校もありますが、12月のストームは大掛かりな焚火みたいなもので雰囲気的には左義長です。間違っても例年のように水を掛け合ったりしてはいけません。深夜、残り火を囲んで青春を語り合うということもなくなるでしょう。
 
 5カ月遅らせれば3月が文化祭の中学校も大同小異、ただし学習発表の部分はだいぶ様変わりします。
 国語の書道展示は「書初め展」と重ならないようにしなくてはなりません。現在は夏休みの宿題となっている理科の自由研究も、大部分を短い冬休みの間に終えておかなくてはなりませんから、内容はずっと小さなものになってしまいます。1月~2月に写生会というわけにもいきません。美術の作品もなにか別のものに差し替えましょう。あとは何とかなります。
 現在の卒業程度の寒さを想定すれば、時期的なイメージがわくはずです。
 
 

【案外、やっていけそうじゃないか】

 さて、三日に渡って「9月入学」を実際の年間暦に移して検討してきましたが、最終的な私の感想は、
「案外、やっていけそうなものだな」
というものです。予想していたよりも問題ははるかに少ない――。

 私も単に“桜の下での入学”“厳しい冬を耐えての卒業”といった情緒的なものに縛られていたのかも知れません。6月の梅雨時の卒業式では女子の卒業生は着物が着られないじゃないか、などということはまったく本質的なことではない。

 前向きに考えれば、3年生の参加できなくなった運動部からは有能なアスリートが手を引いて別の場所に活路を見出すようになるでしょう。そうしないと継続的な成長が望めないからです。同じ理由で各種競技団体の有意の人たちが後押しをしてくれます。
 有能な選手の抜けた中高の部活動は、遅かれ早かれ大学の同好会のようなものに変わっていき、「教員の働き方改革」「生徒の健康問題」といった点でも大きな進展がみられるはずです。
 子どもに本気でスポーツをやらせたいと思う保護者にとっては大変な負担増ですが、そのぶん学校は楽になるでしょう。

 夏休みは年度替わりの空白になりますから継続的な学習の枠から外れ、理科の自由研究や夏休み帳のようなものもなくなります。残るにしても新年度の新しい担任が引き継ぐものですからハンコを押して終わり、その程度のことになります。現在と同じ水準で行ったら、2か月分の宿題処理ですからとても持ちません。

 欧米の子どもたちが享受しているようなまったく自由な2カ月間に近いものが生れ、子どもたちに歓呼の声で迎えられます。そして、二か月間も子どもが家にいることに困り果てた親たちが、長期の夏休みを求めて大きく社会を動かします。学校5日制が企業の週休二日制を強力に推し進めたように、社会全体が長期の夏休みを受け入れざるを得なくなります。
 つまりこの部分でも、世の中の一部の人々が大好きな「グローバル・スタンダード」に近づくわけです。

「これほど大きな変化を伴う『9月入学』を、コロナ事態の混乱の中で拙速に決めていいものか」
という意見もあります。
 しかしじっくり考えたら反対者が続出するに決まっています。知事の6割が賛成し、総理大臣も「検討しましょう」と言い、ある調査では反対者が18.4%しかいない(賛成は47.8%)いまこそ、さっさとやってしまえばいいのです。
 
 

【もう、どうなってもいい】

 今回「9月入学」に関して、メリットのひとつは「留学がしやすくなる」ことだと説明されていますが、日本の人材が海外へ行って何かを持ち帰ることを期待しての話ではありません。優秀な子は行ったら帰ってきません。あちらの方が断然、収入が良いのですからです。

 目的はノーベル賞級の学者を招聘し、インド・中国などの即戦力を留学生として招いて国力を高めようというのです。そのことを意識していないと個人のレベルではとんでもない勘違いとなります。

 我が子が優秀でアメリカに留学して大活躍できるような人材であれば行ったきりです。そこまで行かない普通の子だったら、今度は外国人留学生に枠を狭められた日本の大学入試で、しなくてもいい苦労をさせられるだけです。
 しかも外国人講師による英語の授業がかなり増えますから、大学進学にかなりの英語力が必要になります。その意味で、さらに日本人には敷居が高くなることでしょう。

 それを百も承知で、このコロナ騒動のどさくさに紛れて「9月入学」を持ち出す知事たち、政財界の人々、マスコミ関係者に、私は本気で腹を立てています。

 しかし私はすでに教員でもなく子育ても終わっています。孫たちの教育についいては息子や娘と十分に相談した上で進めましょう。私たちは夫婦も娘夫婦も教員ですから、いまの“よき学校教育”の代わりはいくらでも果たせます。
 根がケチですから孫たちの教育資金も十分あります。ですから私は、もう学校教育がどうなろうと知ったことではないのです。
 
 

【それでも気になること】

 それでも心配なことがひとつあります。まったく些末なことなのかもしれませんが、学校の教育課程から水泳がなくなってしまうと子どもが死ぬかもしれないということです。

 民族学者の石川純一郎の「河童の世界」に、
「若狭の長源寺浦から朝ヶ瀬にかけて、水泳ぎや洗い物などに出て水死するものが、以前は四、五年がうちにひとりずつはあったという。水中に引き込まれるためである」
とあるように、昔は子どもも大人も、およそ信じられないような安全な場所で、よく水死したのです。それが河童伝説へとつながっていくのですが、要するに泳げる人が少なかったのでしょう、つまらぬところで水にはまって、パニックになっておぼれるのです。

 女生徒36人が溺死して、今もオカルトめいた逸話とともに語り継がれている三重の橋北中学校水難事件(1955)では、660名の生徒を17組に編成したうち「水泳能力のない組」が12組もいました。特に女子は10組中9組までが「泳げない組」でした(人数は不明)。
 私自身は小学校2年生になるときに学校にプールができて、おかげで水泳を習うことができましたが、少し上の世代には水泳の経験がなく、若狭でなくても「水死するものが、以前は四、五年がうちにひとりずつはあった」のは当たり前だったのです。

 「9月入学」のために学校が水泳を教えなくなれば、10年後には「泳げない子どもたち」が大半になります。それはやはり気になるところです。

(次回、最終)
 

「部活の大会は冬が向いている?」~「9月入学」の利点と問題点③ 

 学校の年間暦を5カ月後ろ倒しにして「9月入学」に合わせて見ると、
 いろいろなことが分かってくる。
 現在は熱中症対策に大変な力の注がれている
 全国中学校体育大会(全中)やインターハイ夏の甲子園野球が12月になる、
 それって、案外いいのかもしれない。

というお話。

f:id:kite-cafe:20200513081328j:plain(「中学校の入学式」フォトACより)

【中学生の三種の神器

 子どもにとって、中学校というのは部活をやって文化祭をやって修学旅行に行くところです。決して勉強をしたり自己実現を図ったりする場ではありません。“子どもにとっては”の話ですが。

 なぜそんなふうに言えるのかというと、彼ら自身が語っているからです。
 卒業文集を見れば分かりますが、生徒の文章の9割以上はその話題で終わっています。稀に他の宿泊行事のことを書いたり生徒会での活躍を書いたりする子もいますが少数です。勉強ができてよかった、知らないことが分かるようになって良かったなどと書く子はひとりもいません。

 まるっきり学習が中心になってこないことに苛立つ大人もいるかもしれませんが、
「学校は勉強をするところで、仲間と切磋琢磨して自己を磨く場だ」
と定義するなら、彼らは文化祭や修学旅行、部活動を通して学び、切磋琢磨しているのだからそれでいいとも言えます。教科だけが勉強ではありません。

 一方、教師の方も“特別活動”とひとくくりにされるこうした教育活動を、異常に重要視する傾向があります。それはこれらの活動を通して子どもたちが大きく成長する姿を、何度も見てきたからです。特別活動の価値を確信しているのです。
 子どもの成長は右肩上がりの長い上り坂ではなく、不規則な階段です。長い停滞と飛躍の繰り返しなのです。そして大きな飛躍の直前には、修学旅行だとか文化祭だとか、部活動の試合だとかいった大きな行事が、必ず控えているのです。

 したがって学校が「9月入学」になったとしても、生徒も好んで取り組み、教師も価値を認めるこの三つ、少なくとも生徒会活動の総決算としての文化祭と部活動の決算である各種大会は残しておかなくてはなりません。
 それを前提として、5カ月間うしろ倒しにした年間暦(中学校版)をつくり、修学旅行や文化祭、部活動がうまく納まっていくかどうかを確認します。

 

【運動部の大会は冬場が最適?】

 一般的な中学校の、9月始まりの年暦はこんなふうになります。
9月 入学式 1学期始業式 家庭訪問 1年生を迎える会 避難訓練 交通安全教室 生徒総会 PTA総会・参観日 身体測定・各種検診・検査(内科・歯科・視力・聴力・エックス線撮影)
10月 PTA作業 地域ボランティア(地区清掃) 巡回音楽会・劇場 各種検診・検査(耳鼻科・心臓・血液) 参観日 中間テスト 修学旅行
11月 地域ボランティア(資源回収) 各種検診・検査(眼科・結核) 不審者対応訓練 運動部市内大会 歯科検診 期末テスト 防災訓練 
12月 参観日 運動部県大会 1学期終業式 冬休み
1月 冬休み 2学期始業式 総合テスト スキー教室 全中(全国中学校体育大会)
2月 資源回収 中間テスト 市音楽鑑賞
3月 視力検査 新人戦市内大会 麻疹・風疹予防接種 文化祭   
4月 総合テスト 中2職場体験 参観日 歯科検診 公開授業研究会 新人戦県大会 生徒会選挙 総合テスト 1・2年生宿泊学習 2学期終業式
5月 3学期始業式 中3保護者懇談会 保護者懇談会 生徒総会 生徒会引き継ぎ 公立高校前期入試
6月 模擬テスト 参観日 期末テスト・総合テスト 中学校入学説明会 公立高校後期入試 3年生を送る会 終了式 卒業証書授与式 公立高校後期合格発表
7月 夏休み
8月 夏休み

 見ての通り運動部の市内大会は11月、県大会が12月、全国大会は1月という寒い時期になります。水泳部の大会などはとてもできそうにありませんが、それを言ったらこれまでの日程でスキー部やスケート部は他の部と一緒に大会に出場することができなかったのです。同じように水泳だけ特別な日程を組めばいいだけのことです。ボート部やワンゲル部も似た扱いになるかもしれません。

 多少の例外を除いて、「9月入学」の年間暦を肯定的に見ようとすると、確かに寒いことは寒いですが、暑いよりはいいのかもしれません。とにかく熱中症の心配をしなくて済みますから。
 屋内スポーツはどれもこれも夏よりマシです。空調の使えないバドミントンや卓球はむしろ冬の方がありがたいくらいです。あとの種目は暖房を入れてやればいい。屋外競技もこれといって大きな問題があるわけでもなさそうです。
 こうなると全中(全国中学校体育大会)ばかりでなく、インターハイ全国高等学校総合体育大会)も全国高等学校野球選手権大会夏の甲子園)も、1月のこの時期にやった方がいいような気がしてきます。「9月入学」は案外、部活の面でもいいのかもしれない――そんなふうに思われてきます。

 しかしそれは違います。
 今の季節(5月)に考えるとそうなってしまいますが、11月にこの計画を見直せば必ずわかるのです。
「こんなに暗い中を朝部活に出かけ、こんなに暗くなってから一人で帰ってくるのか?」

 

【運動部の生徒は3年生になると引退】

 すべての学校のグランドに照明をつけなくてはならない初期投資も大変ですが維持費も大変です。しかしそれ以上に大変なのは女子部員の登下校の安全確保です。もちろんひとりで行かせるなんてことはできません。一朝事故が起これば取り返しがつきません。

 小平奈緒さんや浅田真央さんのご家族はそんな状況に何年も耐え、朝晩の送り迎えを欠かさなかったのです。寒いスケート場で何時間も待ち続けた日々が、何日もあったに違いありません。しかしそれも小平奈緒浅田真央の家族だからできたという考え方もできます。なにしろ才能がとびぬけていましたから。
 普通の、凡庸な、選手にすらなれないかもしれない我が子のために、寒い冬の朝晩、毎日送り迎えするのです。それが続けられる親が何人いるか――。

 もちろん実際にはかなりの保護者が頑張ってくれるはずですが、翻って、そうした努力、不安に耐える日々を送らなければならないのは、ひとえに日本に優秀な研究者や留学生を招き、エリートを海外に送り出す「9月入学」を維持するためだと言われたら、それでも頑張り切れるものなのか、そうしたことを要求していいものなのか――。

 結局、全中・インターハイ・甲子園野球の日程は元に戻らさざるを得ないでしょう。
 6月市内大会、7月県大会、8月全国大会です。一カ月くらいは繰り上げてもいいかとも思いましたが、宿泊を伴う全国大会を梅雨の時期に実施するのはやはり困難でしょう。

 5月~6月は入試の時期ですから、参加できるのは1~2年生と進学しない(もしくは進路が決まっている)3年生だけということになります。高校生の場合、大学のスポーツ推薦やプロに進むことが決まっている選手は出場できますが進学校の3年生は出られなくなりますから、そのぶん不利となります。中学校3年生は基本的に出られなくなるでしょう。

 中学校の場合、基本的に運動部は3年生になったら引退。2年生は新入の1年生と一緒に全国大会のない新人戦を10月~11月に行って冬を迎えることになります。
 進学をしても運動を続けようという気持ちのある生徒にとって。1年の空白は大変かもしれません。

(この稿、続く)

「学校の年間暦をうしろに5カ月たおしてみた」~「9月入学」の利点と問題点② 

 「9月入学」でほんとうに学校が動いていくのか、
 それは慎重に検討すべき内容だ。
 うかつに変更して、あとで問題が目白押しだったときに、
 簡単にもとに戻せないからだ。
 そこで実際に、学校の年間暦を5カ月間、うしろ倒しにしてみた。

というお話。

f:id:kite-cafe:20200512072930j:plain(「小学校」フォトACより)

 【金で解決できる些末な、しかし重要ないくつかの問題】

 今、語られているのは2021年の「9月入学(新年度)」の話であって、今年度(2020年度)の入学生についてはすでに手続きを終えていますから問題となりません。また、2021年度「9月入学」の下では、2020年度新入生を含めて全在校生は来年8月まで現学年に留まることが予定されています。それが「9月入学」の基本的構想で、この問題を考える共通の基盤です。


 ただし今のところ他の点については何の提案もなく、来年9月の入学式はいいにしてもその前の2020年度卒業式をいつにするのかという話も出ていません。
 大学4年生に目を向けると、オンライン上とはいえ、すでに終活は終盤に入ろうとしているのです。この人たちが9月にならないと社会に出てこないということになると、企業の計画にも狂いが出ます。3月末に辞める予定の社員にも残ってもらわなくてはなりません。

 学校もまず教員の定年延長について決めなくてはなりません。現学年がそのまま5カ月延長されるのに新卒者は来てくれないのですから、まさか「予定通り4月になりました。60歳の方は退出してください。あなたの空いた席は放置します」というわけにはいかないでしょう。
 本来なら新卒教員と入れ替わっていたはずの5カ月間を、60歳~61歳の教員が引き続き受け持つのです、耄碌を心配しているわけではありません。教員最終年のこの人たちの給与は、新卒とは比べ物にならないほど高いのです。その予算はどこから持ってくるのでしょう?

 さらにしんどいのは私立学校。就学期間が5カ月延びたからといってその分の授業料を保護者から取るわけにはいきません。これも政府が補填すべき費用ということになります。
 かなりお高くなるはずです。その他、4月に入るはずの収入をあてにしていた教材会社、学習塾などの損失補填も考えなくてはなりません。大変なコストです。

 もちろんそれは本質的な問題ではく、国債をバンバン発行して充てればいいだけのことなのですが、「9月入学」で得られる価値とのコスト・パフォーマンスは微妙だといえるでしょう。
 さらに言えば、「9月入学」で失われる金銭以外のものについても、そのコストはしっかりと計算しておかなくてはなりません。

 

【日本の学校文化は守れるのかという観点】

 日本の子どもたちにとって、学校は単に国語や算数を教えてもらうところではありません。
 大人が一歩そとに出ればそこに社会があるように、子どもも外に出れば幼稚園や保育園、小中学校、高校といった社会があります。
 大人が社会によって鍛えられるように、大部分の子どもは学校で教科を学ぶとともに人間関係を学び、巡回演劇や巡回音楽(劇団や音楽家が学校を訪問する)を通して質の高い文化に触れ、運動を学びスポーツを愉しみ、他愛ない話をしたり家庭生活を愚痴ったりしながら成長していきます。

 ある種の国のように家に帰ったらそのまま大人と働かなければならない労働社会があるとか、行くべき趣味のグループ、スポーツ団体、ボランティア・サークルなどがあるというわけでもありません。せいぜいが学習塾ですが、そこに濃い人間関係があることは稀です。
 基本的に日本の子どもたちは家庭と学校以外に寄って立つ場所がないのです。

 その家庭と学校には、大きな役割の分担があります。
 いかに都会で環境に恵まれていると言っても休日に子ども演劇に連れて行ったり音楽会に引率したり、あるいは美術館巡りをしたり博物館見学に行ったりする保護者はそう多くありません。
 何かと批判の多い部活動ですが、それがなければ普通の子どもたちは、地域のサッカー・スクールなどに入れてもらうかピアノ教室や絵画教室に通わせてもらわない限り、スポーツや芸術とのかかわりの薄い子になってしまいます。
 
 いま学校が機能を止めたとして、国会議事堂や消防署、警察などの見学に連れていってくれる親はどれほどいるでしょう? 子どもの水難が心配だとスイミングスクールに通わせるくれる保護者、交通安全の実地訓練をしてくれる保護者、ボランティア活動や資源保護の大切さを一緒に活動しながら教えてくれる保護者、あるいはスキーやスケート、潮干狩りや海水浴、それら全部に連れて行ってくれる保護者は、いったいどれくらいいるのか――。
 日本の学校は、そのほとんどすべてを行ってくれるところです。もちろん保護者も役割を担ってくれますが、網羅的・計画的・組織的に行っているのは、日本では学校だけです。

 そう考えると、入学式を9月に移すことで何が変わるのか、失われるものはないのか、しっかりと検討しておく必要があります。
 欧米の学校には社会見学や演劇・音楽鑑賞、児童生徒会、部活動といった特別活動的なものはほとんどありませんから、その点で参考にならないのです。

 

【小学校は問題が少ないだろう】

 入学式を9月に移して、現在の学校教育がそのまま動けるものなのか検討する、一番簡単な方法は現在の学校暦を5カ月後ろに移してみることです。そのうえで真冬にプール開きをしたり、6月にスキー教室を行ったりといったことのないように調整します。

 なお年度替わりが9月1日になるため春休みは不要となり、その分を夏休みにつけて欧米並みに卒業式は6月末、夏休みは7~8月の2カ月とします。昨今、学校は熱中症対策に苦慮してきましたからその点では一石二鳥です。
 ただし春休みをなくして前期9月~12月(4カ月)、後期1月~8月(8か月)の2学期制にしますとあまりにもいびつですから、1月~8月の間に一息入れたいと思います。するとちょうどいいことに大型連休があるじゃないですか。
 そこで4月28日を2学期終業式、5月7日を3学期始業式としてメリハリをつけます。3学期だけは実質2カ月しかありませんが、かなり合理的な配置かと思います。

 さて、そうやって整理してみると、小学校の場合は案外、問題が少ないように見えます。

《一般的な小学校の9月始まり年暦》
9月 入学式 1学期始業式 家庭訪問 1年生を迎える会 児童総会 第一回避難訓練 第一回交通安全教室 PTA総会・参観日 身体測定・各種検診・検査(内科・歯科・視力・聴力・エックス線撮影)
10月 PTA作業 地域ボランティア(地区清掃) 巡回音楽会・劇場 各種検診・検査(耳鼻科・心臓・血液) 参観日・親子給食
11月 地域ボランティア(資源回収) 各種検診・検査(眼科・結核) 防災訓練  
12月 参観日 1学期終業式 冬休み
1月 冬休み 2学期始業式 スキー教室
2月 交通安全教室 不審者対応訓練
3月 視力検査 各学年社会科見学 5年生宿泊行事 小6修学旅行 
4月 市内陸上競技大会 参観日  歯科検診  来入児検診 公開授業研究会 2学期終業式
5月 3学期始業式 運動会  市内陸上競技大会  保護者懇談会 
6月 中学校入学説明会 児童会選挙 来入児一日入学 参観日 6年生を送る会 修了式  卒業証書授与式 


 特に座りのいいのは運動会で、5月というのは驚くほど気候に恵まれていて、しかも熱中症の不安は9月~10月ほどではありません。お母さんたちが紫外線対策をしっかりして見物に来ればいいだけのことです。
 同じ5月の「市内陸上競技大会」というのは、例年夏休みに行われている「全国小学生陸上競技交流大会(いわゆる日清食品カップ)」に向けての第一段階で、その後、上位大会を経て全国へという流れになります。8月といえば6年生はすでに卒業式を終えていますが、身分はまだ小学生ですから問題ないでしょう。

 やや迷ったのは3月の宿泊行事。地域によってはまだ寒いかもしれません。いっそのこと進級したばかりの10月という手もありますが、そのあたりはいかようにも考えられます。海水浴や潮干狩りというわけにはいきません。しかし工夫の仕方はいくらでもあるでしょう。

 年間暦の中でどうしてもうまく入らなかったのが「プール開き」でした。6月の中旬、卒業式前後に無理をして入れても、そのあとしばらくは梅雨のためにほとんど水に入れず、明けて7月~8月は夏休み、9月は入学式から新年度行事が目白押しですから、とてもではありませんが水泳などしている暇がありません。

 もっとも今やプールは、新設はもちろん維持管理も市町村の財政上の負担になっていてスイミングスクールを頼ろうという話もあるくらいですから、この際、水泳は指導要領から外すのもいいのかもしれません。
 子どもの水難が心配な保護者は自腹を切って子をスイミングスクールに入れればいいだけなのです(と冷淡に言っておきます)。

 問題は中学高校です。

(この稿、続く)

「『“9月入学”には何の問題もない』説について」~「9月入学」の利点と問題点① 

 にわかに現実味を帯びてきた「9月入学」説、
 不安材料はいくつもあるが、
 巷間言われているような心配は、
 実はまったくないのかもしれない。

というお話。

f:id:kite-cafe:20200511072639j:plain(「入学式の親子」フォトACより)

 

【“今から8月まで4カ月間休み”なわけではない】

 政府が本格的に「9月入学」を検討し始めたと聞いた保護者達が、まず震え上がったのは“このまま子どもたちが4カ月もウチにいるのか?”という問題のためだったようです。

 別の立場からも、9月に新学期を始めたところで秋、あるいは冬から春にかけて第2波・第3波の感染拡大が始まったら結局、授業時数は足りなくなってしまうのではないか、といった疑問が出ていました。しかし現在まじめに「9月入学」を考えている人たちは、すでに手続きを終えている今年度入学生(2020年度生)の授業を9月から始めるというのではなく、来年度(2021年度)の入学生を9月に受け入れようと考えているみたいです。

 つまり今年の4月に入学した子どもたちは来年8月まで、1年5カ月かけて1年生の学習を行うわけです。すでに失った1~2カ月、さらには今後予想される再度・再々度の休校分もその中に含んでいこうということです。これだと向こう1年4カ月、いつでも躊躇なく休校指示が出せますし、いくら何でも450日(1年5カ月)かけて200日(1年間の平均的授業日数)がこなせないということはないでしょう。
 他の学年も、同様に1年5カ月かけて現在の学年を履修します。

 

【1年生が1.4倍ということもない】

 しかしこれだと2021年9月に小学生になるのは誰かということが次の問題になります。
 というのは2021年9月の入学式以前に生まれた6歳以上の未就学児は2020年4月~2021年8月生れの子で17カ月分、つまり例年の1.4倍もいるのです。これが 案外、由々しき問題なのです。
 1年生の場合はクラスの人数が35名までと決まっています(2年生以上は40名)。したがって1.4倍もの新入生があると教師や教室が足りなくなる場合があるのです。

 例えば新1年生が本来25人しか来ない学校の場合、その1.4倍が入学してきても(25×1.4=35)でぎりぎりセーフですが、26名入る予定の学校は(26×1.4=36.4)、つまり36~37人が入学してくることになってしまいます。その場合は新入生を二つに分け、1クラス18~19人の2学級で運営していくことになります。教室が二つ、学級担任も二人必要になります。

 担任の方は金で何とかなるかもしれませんが、教室は簡単には増やせません。余剰教室があれば別ですが、そうでなければとりあえずプレハブで対応するしかありません。それにしても大変な予算です。
 そんなことが全国で同時に起こったらどうなるでしょう。その子たちが中学に上がるとき、高校生になるときも同じことが起きます。高校入試は定員を増やすことで凌げそうですが、就職する際も新卒が1.4倍。それを企業は吸収しきれるのか………。

 ただしこれも腹をくくれば簡単な問題です。「2021年度新入生は、2020年4月2日から2021年4月1日までに生まれた者とする」と決めれば数の上では解決できます。
 4月1日になったら、その日までの1年間に6歳の誕生日を迎えた子たちに向かって、
「あなたたちは今年、小学校の1年生なるんだよ。ただし入学は9月からだけどね」
と言い、翌日の4月2日から9月1日までに6歳の誕生日を迎える子には、
「もうすぐ小学校の入学式だけど、あなたたちは入れるわけじゃないからね。あなたたちは来年まで待つんだよ」
と言えばいいだけのことです。意識や心構えの上ではちょっと面倒くさいですが、プレハブ教室をたくさん作ることを考えれば、かなり割安な話となります。
 これで保護者の不安の大部分は解消されるでしょう。

 今年1年生に上がった子を含めて、子どもたちは緊急事態宣言が解除されればすぐにも学校に行ってくれますし、そのあと1年数カ月かけてゆっくり育ててもらえばいいのです。
 さらに胸をなでおろすのは小学6年生と中学3年生、そして高校3年生の保護者たちです。学習内容も十分に消化されないままの受験に向かわなくてはならないのかと恐れていたはずですから1年数カ月の猶予には大いに歓迎するところでしょう。
 もっとも私には、それでも残る個人的な問題がありますが、それについては後で触れましょう。

 

【「9月入学」は産学官の悲願】

 9月入学への強い願いは、もともと政財界に古くからあったものです。

 日本の製造業は昔から自社の研究所を開発の主戦場としてきました。パナソニックを始め、ソニー、本田など、日本の優良企業のほとんどは研究熱心な創業者によって自社で独創的な商品開発を行い、成長を果たしてきたのです。しかし現在のように世界的な競争にさらされ、製品も高度化してくると1社だけの英知では対抗しきれなくなります。つぎ込む資金も膨大なものとなっています。そこでアメリカのような産学共同体の必要性が叫ばれるようになるのです。
 企業は大学に資金や人材を提供し、成果を引き出して製品化します。特に国立大学はもともと国からの膨大な予算を与えられていますから、企業資金と合わせると巨大な研究開発も可能となってきます。

 アメリカはこれを非常にうまくやっている国で、日本からも多数の研究者が行っているように世界中の英知を集め、潤沢な資金を与え、さらに世界中から集めた優秀な留学生を使って膨大な研究成果を生み出し、それを企業が利用しています。もう自前で人材を育てる必要もなく、だからアメリカは国民教育に不熱心なのだと揶揄されるほどです。

 しかし同じことを日本がやろうとしても簡単にはできません。まず問題となるのが4月入学。欧米の9月入学との時間差が学者や留学生の移動を妨げるのです。海外の研究者や留学生が日本に来ようとしても、6月の卒業式後に一区切りつけてそれから10カ月も待たないと日本の学校は始まりません。
 「9月入学」はそうした障害を一気に取り去ることになります。

 余談ですが
「THE世界大学ランキング」で日本のトップは東大の36位です(THE2020)。評価基準に「国際性(外国人学生の割合、外国人教員の割合、日本人学生の留学比率、外国語で行われている講座の比率)20%」という項目があって、昔からこの部分が下駄を削られている感じで上位が狙えなかったのです。
 9月入学になるとこの点でも飛躍が望め、うまくすると英米2カ国でほとんどを押さえているベスト20の牙城を崩せるかもしれません。

 

【会計年度と違っていても構わない】

 最後に、
 これは先週5月2日の記事にコメントをいただくまでまったく気づかなかったのですが、9月入学になると4月始まりの会計年度はどうなるのかという話題もあったようです。
 “どうなるのか”という意味では私の頭にもあったのですが、会計年度を9月始まりにしなくてはならないという発想がまったくなく、会計年度が4月のままで、だから相当やりにくいだろうと考えただけだったのです。そこで調べてみると、驚いたことに9月始まりの欧米諸国では、学校暦と会計年度は必ずしも一致していなかったのです。

 コメントへの返事としても書きましたが、9月入学の国々の会計年度はイギリス・ドイツが4月、フランスは1月と、EU内でもバラバラです。アメリカに至っては、学校は9月、連邦政府の会計年度が10月始まりなのに州政府の大部分は7月始まり、ニューヨーク州は4月、テキサス州9月、アラバマ州ミシガン州・ワシントンDCは10月と、みんなバラバラなのでした。つまり学校暦と会計年度のずれはまったく問題にならないらしいのです。諸外国の事務手続きを見て倣えばいいだけのことでしょう。
 
 こうして調べてみると、多少の面倒はあるにしても、来年度から「9月入学」に変えていくことには何の問題もないような気がしてきます。

 しかし本当にそうでしょうか?
 明日は具体的に学校がどう変わるか、それを考えていきたいと思います。

(この稿、続く)

「なぜ医療はいきなり追い詰められたのか」~新型コロナについて分からなくなったこと、分かったこと②

 なぜ他の先進国はあれほどのPCRができたのか、
 その答えはいずれ出るだろう。
 しかしそれにしても、日本の医療はなぜ
 かくも簡単に崩壊直前に追い詰められたのか。

というお話。

f:id:kite-cafe:20200508072300j:plain(「救急車」フォトACより)

 

 【答えはいずれ出る】

 中国のように医師が289万人もいれば、PCR検査のために1000人引き抜いても病院の日常に支障はないでしょう。韓国には3000人もの公衆保健医がいて、これも強制的に借り出すことができます。SARS・MARS被害で感染症に警戒心の強い国にはそれなりの覚悟もありました。

 ですからこれらの国で十分なPCR検査ができたことは分かるのです。しかし何の準備もなかったはずの欧米諸国がすさまじい勢いで検査数を増やしていく中で、先進国としては日本だけが増やせないというのはとても衝撃的でした。

 ヨーロッパやアメリカはいかにして検査数を増やすことができたのか――これには思うところがあります。しかし“思う”だけで文を重ねても仕方ありませんからここまでとしましょう。答えはいずれ出て来ます。

 

【もうひとつの衝撃】

 今回のコロナ事態に際して、もうひとつ大きな衝撃を受けたのは、日本の医療が瞬く間に崩壊の危機に瀕したことです。

 安倍首相が日本中の学校の休校を宣言した2月27日に、日本国内で確認された感染者はわずか214人でした(死者4人)。3月中旬には感染者が1000人にも満たない状態で、早くも医療崩壊の危機が叫ばれていました。そして月末になると、実際にマスクや防御服が足りなくなり、病院は戦場のようになっていると伝えられてきます。
 そのころの感染者数は、3月31日で(今から思えば)わずか2233人。同じ日に韓国は1万人近い感染者に耐え、イタリアは10万人、スペインは8万5000人と戦っていました。アメリカに至っては21万人の感染者の上に毎日2500人ずつ増えていたのです。
 それなのに日本はアメリカの1日分にも満たない数で、新しい患者の搬送先さえ見つけにくくなっているのです。医療関係者の疲弊も一段と深まっていく――。

 日本の医療体制がそこまで脆弱なものだとは思ってもみなかったので、私は非常な衝撃を受けました。いつも言っているように私は熱烈な民族主義者で、この国があらゆる面で世界の第一集団にいると信じていますから、そこまで脆い日本の姿など見たくなかったのです。

 しかし今から思えば、それも愚かな考えでした。新型コロナ事態が始まるずっと以前から日本の医療は崩壊寸前で、そのことを私は知っていたからです。

 

【コロナ以前に崩壊状態だった】

 日本の医師の過重労働については、すでに言われて久しくなります。研修医を無給で働かせるいわゆる“無給医”などは、日本の医療が限界まで来ている証みたいなものでした。

 人口1000人あたり医師の数は2.4人。OECD36ヶ国中32番目の少なさです。ギリシャの6.1人は多すぎるにしても、オーストリアの5.2人、ポルトガルの5.0人などと比べるとずいぶん見劣りします。
 今回新型コロナで大きな被害のあった国々、イタリアが4.0人、スペインが3.9人、フランスは3.2人、ドイツ4.3人、イギリス2.8人。
 アメリカは2.6人と少なめですが、無保険の国民も多く、風邪くらいでは病院に行かない国です。国民皆保険のために病院の敷居が低く、少し具合が悪いだけでかかりに来る日本とは、医師の対応する患者の数が違います。

 夜勤を含む32時間労働で、一日休んでまた32時間労働につくといった異常な勤務医の実態について、私たちは折に触れてテレビ番組などで見てきたはずです。
 昨年、臨月に破水して救急車で搬送された娘のシーナは、五つ目の病院でようやく受け入れてもらいました。平穏な時期の産婦人科ですらそんな状況ですから、病院はどこもかしこも限界に近い状況で仕事をしていたのです。
 そんなところに今回の新型コロナで日に100人、200人と患者が増え続ければ、あっという間に満杯になるのは目に見えていました。

 武漢の封鎖から相当な準備期間があったにもかかわらず十分な対応ができなかったのは、それが一朝一夕に対応できない病床の数、ICUの数、そして何よりも医師の数といった、即応できないものばかりだったからです。
(それにしてはよくやった! それにしてもよくやった!)

――と、そこまで考えて、PCR検査が少ないこととの関連で、最重要な要素について十分に考えて来なかった部署のあることに気がつきました。
 保健所です。

 

【保健所は動けない】

 今回の新型コロナ事態に際して、保健所が陥った深刻な人手不足については記事をいくらでも拾うことができます。「保健所 人手不足」でGoogle検索をかけると約30万件のヒットがあり、そのほとんどが現状に関するものです。
 それ以前、今回の感染拡大が起こる前はどうだったのかというと、現在に関するものが多すぎてなかなか探しにくいのですが、予算・人員が潤沢にあったとはとても思えません。
 なぜなら同様の公的機関が軒並み予算不足・人員不足に苦しんでいるからです。

 教員の過重労働についてはつとに知られるようになってきました。しかし定数改定を行って大幅に増員しようという動きはまったくありません。それどころかブラック体質が有名になりすぎて志望者自体が少なくなっている有様です。
 児童相談所はもはや不登校やいじめ問題に対応しません。児童虐待に特化したような組織に変質してもなお対応しきれず、子どもの命を守れなかったと非難され続けています。しかし児童福祉士一人で100件以上も抱えている状態では守れる命も守れないのです。

 今回の新型コロナ事態では「保健所で断られた」「そもそも電話が通じなかった」という話がネット上に目白押しですが、断った理由は容易に想像できます。対応できないのです。
 PCR検査の手配をするのも検体を運ぶのも保健所職員の仕事だからです。もちろんコロナ以外の仕事をおろそかにもできませんから、路上で犬が死んでいるといった話にも対応しなくてはならないのです。

 日本でPCR検査が進まない原因のひとつは間違いなくここにあります。保健所の人手不足がネックとなって、にっちもさっちもいかないのです。

 

 【健康な消費行動が決定的に健康を損なわせる】

 日本では財政改革の観点から公務員の削減、組織の合理化が繰り返し叫ばれてきました。

 加藤厚労大臣が医療費削減の観点から、全国の公立病院の数を30.2%減らそうと言ったのは今年の1月17日、まさに武漢で62名の感染者と7名の死者が出ていた時期です。
 この改革が一年早く進められていたら、日本は完全に動きが取れなくなっているところでした。

 ちなみに今回のコロナ対応で最も評価の高い国のひとつドイツは、一部でパンデミックを見越して集中治療室および病床を大幅に確保しておいたといった報道がありましたが、そうではありません。今回の直前まで、政府は病院の統廃合が十分に進んでいないと責められていたのです。改革がうまく進展しなかったことでむしろ救われました。
 ドイツもまた幸運に恵まれていたのです。医師の削減もできていなかった点では、日本よりさらに恵まれていたと言えます。

 そもそも日本の公務員数の全就労者に対する割合は5.9%でOECD36カ国中最下位です。1位ノルウェーの30.0%、2位デンマーク29.1%とは比べるべくもありませんが、下から2番目の韓国でさえ7.6%であることを考えると、いかに公務員の少ない国かは歴然としています。
 それにもかかわらずさらに減らそうとしてきた、その結果が現在の「電話が通じない」「拒否された」です。

「より少ない(税金の)支出でより多くの(行政)サービスを」
は消費行動の原則ですが、原則に忠実であることが、結局、命にかかわることもあるのです。

(この稿、終了)

 

「PCRって、どんだけ簡単な検査なんだ?」~新型コロナについて分からなくなったこと、分かったこと①

 大型連休も終わり、新型コロナ感染第一波も終焉に向かおうとしている。
 しかしそれにしても、
 PCR検査って何だったのだろう。
 今ごろになって、すっかり分からなくなってしまった。

というお話。

f:id:kite-cafe:20200507070613j:plain(「ウイルスと人々」フォトACより)

【一息つけるかもしれない】

 大型連休も終わり、非常事態宣言も延長されました。新規の感染者はかなり少なくなって、多くの地方自治体では5月31日を待たずして制限の大幅緩和が行われそうです。

 国内が落ち着けば、海外との交易・人の行き来が再開されない限り、今回の感染拡大はひとまず終了ということになります。私の目算ではもっと小規模なもので終わるはずでしたが、新型コロナウイルスというのは日本人をもってしても御し難い、悪辣なウイルスということなのでしょう。とびぬけて高齢化率の高い日本としては、よくやったと言えるレベルなのかもしれません。
 ひと段落したところで、この第一波(正確にはたぶん第三波)の総括をしておく必要があります。

 

【結局、PCR検査とは何だったのか、分からなくなった】

 ここまで来て、私はPCR検査というのがまったくわからなくなりました。 

 もちろんPCR検査が、
「増やしたい遺伝子のDNA配列にくっつくことができる短いDNA(プライマー)を用意し、酵素の働きと温度を上げ下げすることで、目的の遺伝子を増やす方法です」日本微生物研究所
といったことは調べれば分かります。新コロナウイルスの遺伝子配列は早い段階で中国から提供されていますから、それと対照すれば新型コロナかどうかははっきりする――それは理解できます。

 分からないのは、楽天が売り出そうとした検査キットのように、素人が綿棒で鼻や口腔の粘膜を擦ればいいような簡便なものだったのかという点、そして“酵素の働きと温度を上げ下げすることで、目的の遺伝子を増やす”という過程が、熟練を要するものなのか、それとも例えば1時間~2時間の研修で私でもできるようなものなのか、といった点です。

 この問題について、私は答えを持っていたつもりでした。例えば次のような記事です。
 そもそも、検査精度を担保するのは結構難しいのです。病原体検出マニュアルが策定されていますが、非常にまともです。完璧なマニュアルです。
 これを全部理解して検査している技師さんが、ちゃんと検査をすれば、正確性はそこそこ担保される(と思う)のですが、real time PCR(RT-PCR)法は検査手技に精通していないと、相当の偽陰性が発生します。
(中略)
 手技だけで無く、良い検体が取れていないと反応が正確に進まない。また、逆に、ほんのわずかな操作ミスで、何をやっても検査陽性になってしまうほどの高感度な検出方法です。
 実際に手を動かしてReverseTranscription反応(RNAからcDNAを合成する逆転写反応)からRT-PCRまでの一連の流れをやったことがある人は多分みんな気づいているんじゃないかなぁと思いますが、「どんな検体も陰性にしてしまう大学院生」「どんな検体も陽性にしてしまう大学院生」と、「そこそこ正確に判定を下す大学院生」が存在する分析装置だったりします。
 技師さんは割とキッチリ訓練されていますし、マニュアルが素晴らしいのでその通りにやれば、そこそこの感度特異度は担保されることになっています。ただ、検体は「生もの」なので、例え感度特異度が理論値と現場で乖離してしまっても、別段驚きませんし、誰も責められないことも知っています。
 そのうちニュースに出るでしょうから、正直な値をぶっちゃけてしまえば、COVID-19のRT-PCR検査の感度は現状で30%~70%と推定されています。確定値は未公表となっています。(出典:「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)診療所・病院のプライマリ・ケア初期診療の手引き」)。
 前記の医師の叫び「検査なんて半分はハズレだ!」の根拠です。検査に慣れてきたり、試薬が最適化したらもう少しは感度も上昇すると思いますが……。

(2020.03.25「ある医師がエンジニアに寄せた“コロナにまつわる現場の本音”」

 他にも「検体採取は医師本人、または医師の管理下で他の医療従事者が行う」とか、「PCR検査の技術を確かなものにするには、少なくとも1年~2年の実務経験が必要」といた記事を読んでいましたので、それはとても難しい技術だと信じ込んでいたのです。

 その難しい技術をもった医師や技師を、中国の場合は14億人中国の全土から呼び寄せることで、韓国では公衆保険医という特別な制度によって揃えることができた。しかしそれはSARSやMARSに苦しんでそこから教訓を得てきた国だからこそできることで、日本はそういうわけにはいかない。そもそも体制が整っていないのだから、少ない資源を大切に使っていかなくてはいけない――そう思っていたのです。
 ところがウイルス感染がヨーロッパに広がって、やがて思わぬ疑念が持ち上がって来たのです。

 

 【日本だけが突出して遅れている?】

 例えば「検査をやりすぎて希望者が病院に殺到したためにかえって感染が広がり、医療崩壊が起こった」と言われれるイタリアで、陽性者が一気に前日の2倍以上になった3月11日の感染者数は2312でした。「希望者が殺到」していたわけですから非感染者もたくさん来ていて、仮にそのときの陽性率が20%だとすると、この日一日で1万1500人以上が検査を受けたことになります。
 日本ではダイヤモンド・プリンセス問題が最大の懸案で、1日300件しかない検査能力を30件、50件と小出しに使っていた時期です。

 SARS、MARSに苦しんだ中国・韓国ならまだしも、なぜイタリアでこれほど大量の検査ができたのでしょう? スペインも、フランスも、ドイツも皆同じです。新型コロナ対応に遅れを取ったと言われるアメリカでさえ、最大の感染者数を出した4月24日は45765人でした。陽性率を50%と考えても、1日で10万人近い検査があったと考えられます。

 日本がいま目指している検査数は1日2万件です。しかもつい先日、NHKの有馬キャスターが厚労省の官僚に取材した話では、1日2万件分の予算を増やすという話で、実際にどこかから医師や検査技師を連れてくるという話ではありませんでした。金を出したら、あとは現場任せです。

 私の経験から言えば、文科省都道府県教委が「部活の外部指導者を増やす」とか言っても、予算をつけるだけで、人間までは探してくれない、あれと同じです。金だけ渡して、地域から1日2時間、週10時間の吹奏楽指導ができる人材を学校数分、15人探して来いと言われてもできるはずがない。
 金さえ渡せば、技術はあっという間に身につく、人材は集まるというわけにはいかないのです。

 

【ロサンゼルスの奇跡?】

 新型コロナ感染第2波、第3波がやってきても検査数2万なんてとてもではありませんが達成できそうにない、私にはそんなふうに思われます。それがなぜ、欧米では可能なのか。

 おりしも昨日、ロサンゼルス市長は全市民に対してPCR検査を無料で実施すると発表しました。インターネットによる予約制ですから希望者が殺到して医療崩壊ということはないでしょう。ただしロサンゼルスの人口は1000万人。勤労者を中心に半数の500万人が希望したとして1日10万件で50日もかかります。
 検査場は1000個所を上回るでしょう。一か所に5人を配置するとして5000人。50日に渡って縛るわけですから専従でなくてはいけません。また1日10万件もの検査ができるプロの検査技師を何百人も、どこかから連れて来なくてはならないのです。

 ドライブスルー方式で、検体は自分で口の中の粘膜をこすり取ることで行うそうですが、最初の方で引用した、
「手技だけで無く、良い検体が取れていないと反応が正確に進まない」
「ほんのわずかな操作ミスで、何をやっても検査陽性になってしまうほどの高感度な検出方法です」

とはあまりにも雰囲気が違います。

 何が違っているのか、全く謎ですが、私のようなド素人でさえ疑問に思うことを日本のマスコミがまったく問題としないこと、それもまた謎です。

(この稿、続く)