2023年度がいよいよ終わり、来週からは2024年度。
そして10年ごとに人生を変えて来た私にとっては、
おそらく最後の10年が始まる。
怖くはないが、厳しい戦いの日々になるだろう。
という話。(写真:フォトAC)
【二十歳からの五つ目の10年が終わる】
学生時代のアルバイトを含め10年、家庭教師と学習塾の講師の仕事をしました。30歳で都会を離れ、中学校教師として10年、小学校の教員として10年、最後は管理職を10年やって教職を離れました。そしてその日から、今月末でちょうど10年が経ちます。
この五つ目の10年は、途中で2年ほど別の仕事をした期間もありましたが、基本的には家事と、1アールほどの小さな畑での野菜作りと、ものを読んだり書いたり、そして介護の仕事が中心でした。特にこの3年あまりはひとり暮らしをさせている母の元へ日に三度かよって、食事の世話をしたり身の回りを整えたりと、往復に運転している時間だけでも毎日2時間半余りと、多少はたいへんでしたが、それなりにがんばって続けてきました。以前は夜行って翌日のデイサービスの準備をしたり食事の用意をしたり、あるいは少し話をして泊まるというだけでしたが、その時期も入れるとほぼ12年という長さになります。
その母が1月の末に転んで大腿骨を骨折し、手術のあとリハビリを続けて先週二つ目の病院に転院。今は終の棲家となる介護施設を探しているところです。
間もなく97歳になる母はだいぶ前から子ども(私と弟)の世話になりたくないから施設に行くと言っていたのですが、私としては“自分でトイレへ行けるうちは自宅にいよう、いよいよシモの世話ができなくなったら――息子にやってもらうにしても、嫁にやってもらうにしても、互いにつらいから、そうなったら施設を考えよう”と引き留めていたのです。
まさか“ケガを機に”ということになるとは考えていなかったのですが、次に骨折したら寝たきりだと医者に脅され、今の状況ではピッタリ張り付いての介護などできようもないので、これを機に施設を考えようということになったのです。
20代も30代も40代もと、10年一区切りに生きて来た私の人生の5番目の「介護の10年」に自然と区切りがつきました。
【次の10年、戦いの朝(あした)】
次の10年は、もしかしたら私にとっては最後の10年になり、さらにその次の10年はないのかもしれません。若いころ(と言っても40代前半)に大病をして、その際「できれば80歳まで生きたい」と願い、あちこちで「80」という数字を残して来た(例えばメールアドレス)ので、10年区切りのこれまでの人生を考えると、「80歳の年に満願成就」となる可能性も「大」なのです。
死ぬのは嫌ではありませんし、かつて一度は本気で覚悟して実際に恐ろしくありませんでしたから次回も怖くはないでしょう。期日も定まれば準備も覚悟もしっかりできそうです。しかし気持ちの良いものでないことも事実で、そうなったらまたその時に考えたいと思います。
お仕舞はそんなふうでいいと思うのですが、10年はやはり長く、しかもこれまでと違って、ボンヤリと目先のことにかまけているわけにはいかないと思います。肉体的・精神的な衰えに加速度がつきますから、下り階段を一気に数段下り、緩やかに長い坂をゆっくりと進んでまた数段落ちる――。稀に落ちた分の8割程度は上り直すこともあるかもしれませんが、以前と同じ段階に立ち帰ることは、まずない。そんな10年になるはずです。だから昔とは違った意味での、しかし言葉としては同じ「戦いの10年」になるのだと、今は思っています。
ものごとができなくなる、次第にダメになる、そういう自分を受け入れるための戦いです。
【2024年度の始まり方】
あと二日で2023年度が終わり、来週からは2024年度です。恐ろしいことに新年度は月曜日始まりですから、多くの学校がその週のうちに入学式と始業式をすることになるでしょう。先生方にしてみれば息もつけない地獄の一週間です。
特に新規採用者の先生方、初日、二日、三日目の途中くらいまではわけのわからない会議の連続で、脳が沸騰し始めます。とにかくあれもこれも分かりませんから、早く学年主任の先生に慣れて、いちいち話を聞いて進めていくしかないでしょう。教員生活はすばらしいものですよ。しかし最初はたいへんです。
私は、具体的には特にこれといったことのない普通の4月1日になる予定です。しかしそれでも最後の10年の始まりです。心して新しい年度を迎えることにしましょう。それでも人の役に立ちたいからです。
(参考)